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ネクサス ラメズ・ナムとトランスヒューマンとChatGPT

昨日はインド占星術のZOOMライブだった。

そこで少し話題に出たのだが…

「2043年くらいには全てAIがやってくれる世界」

が到来しているという話題になった。

ChatGPTの衝撃

この話は以前も聞いていたのだが…

「今だってChatGPTとか革新的なのに、20年後は想像もつかないわ」

というのが素朴な感想。

私も早速ChatGPTをいじってみたが、まあ、これはもうこの路線だという感じ。

少し前に流行った Clubhouse(クラブハウス)なんかは一過性の流行りだが、今回のChatGPTはそういうい流行りとかではなく、もう後戻り出来ない世界の扉が開いたようなイメージ。

人によってはこのChatGPTやその技術によって2045年に到来するといわれているシンギュラリティがあと数年でやってくるという人までいる。

どうなんだろうね?

言語の限界

私はプログラムとかAIは素人なのでわからないが、まあ、言ったら今騒いでいるChatGPTなどはあくまで…

「言語」

というものを取り扱っているわけだ。

この言語を使うことによって今の人間がここまでの文明を築いたと言っても過言では無い。

例えばインターネットは紙媒体で存在していた文字や情報を電波状のWEBという世界で開放させたものとも言える。

今回のChatGPTもAIが介入しているとは言え、まだ言語という延長線上での話に留まっているとも言える。

今、私たちが脳内であれ外界であれ言語を使っているという制限からはまだ解放されてはいないわけだ。

つまり、言語によって構築されているが逆を言えばそれによって制限されているとも言える。

ちなみに、瞑想とはこの言語や二元性を超えていく作業というか状態ではある。

では言語によって制限されない世界やテクノロジーとはどうのような世界なのだろうか?

五感や文字を超えて

それは五感をある意味超えた世界。

言語を超えた世界がこの物質世界でも普通になるという話になると感じる。

私という人間の個人性を超えた世界。

人間と機械(ネットを含む)が融合した世界。

などの到来だとも言えるだろう。

これは私が適当な思いつきで言っているのではなく、実際に部分的にはそういう世界が到来している。

ネクサス

例えば4年くらい前に「ネクサス」という小説を読んだ。

これはSF小説を書いたのは元々作家ではなく、マイクロソフトで要職を務めたテック界の人物。

ストーリーはネクサスという経口摂取出来るナノマシンで人間が超人化していくストーリーなのだが、それは単なる空想ではなく様々な調査や取材をした結果思いついたアイディアらしい。

先ほどお話した…

「言語や個人性を超えていく」

というのは既に2000年代から色々とテクノロジーが進んでいるらいし。

脳インターフェース

ジャンル的には脳インターフェイースと呼ばれるもので…

  • 脳からの信号で失われた身体機能の回復を行う
  • 例えば半身麻痺の患者の脳に接続して思うだけでアームやカーソルを動かせるようにする
  • 全盲の患者に視神経補助装置を装着してコンピューター処理の画像を見ることに成功させる

などが20年以上前から研究が行われていて成果が出ている。

また、最近ではイーロンマスクがNeuralink(ニューラリンク)に取り組んでいるという話があるが、これもその延長と言える。

ポストヒューマン・トランスヒューマン

これらが進化してAIによって統合されると、現在私たちが「人間」と呼んでいる状態に変化が起きてくるだろう。

  • 例えば機械やAIと融合した状態の人間
  • ナノマシンや遺伝子療法によって能力アップや寿命の延長した人間
  • 多人数の集合意識からなる人間

いわゆるポストヒューマンやトランスヒューマンとも呼べるような状態が一般化していくと予測されている。

これは良い悪いではなく、ある意味時代の変化とも言える。

まあ、言ったら瞑想もある段階になると「集合意識」的なものに遭遇するので、それがスピリチュアルな分野としてではなく、科学的な分野でも常態化するという話になってくる。

私が思うに今回のAI化に限らないが、文明の発達というのは…

「コミニュケーション」

といニーズというか欲求に突き動かされてものとしてみることが出来る。

  • いかに早く
  • いかに多く
  • いかに遠くへ

他の存在と交流したいという欲求が文字や交通機関の発達を生み出した。

このように文明の発達はある意味、意識として一なるものから分離した我々が元の状態に戻りたいという根源的な本能なのかも知れない。