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引き寄せの嘘と本当

今回のテーマは引き寄せ。

動画で簡単に解説しているが補足として書いてみよう。

結局のところ、引き寄せが出来る出来ない以前の問題として・・・

「私達に運命を選択する自由はあるのか?」

というテーマがある。

一般的な常識から言えば・・・・

「ある程度、自分の未来は選択出来る」

という前提でこの世界というか社会は成り立っている。

例えば何事においても・・・

「努力して結果を出しましょう」

という考え。

だから子供の頃から勉強をする(させられる)わけだし、社会に出ても色々な分野で競争する。

極論を言えば、どのような分野であれ何か出来ないのであれば・・・

「努力が足りない」

という話になってくる。

一方、これに対してカルマ論というものがある。

「それはカルマで決まっていたんですよ」

という考え。

そのカルマは前世の行為によって既に決定されているという。

だから、そもそも努力出来るかどうかさえもカルマによって既に決まっている。

当然ながら未来も決まっていて・・・

「私達に出来ることは体験して認識する事しか出来ませんよ」

という話。

私が最初にこのカルマ論を知ったのは20代中頃だった。

正直、反発を覚えた。

「決まっているというのなら、次に俺が何をいうか当ててみな」

みたいなノリだった。

もちろん、20代とは言えある程度大人だったので口に出しては言わなかったが、心の中ではそう思っていた。

確かに、ある程度は決まっているだろう。

なぜなら、生まれた時代や国、持っているDNAによっておおよそのプログラムはあるに違いない。

しかし、全ての物事が決まっているんですよと言う話には抵抗感を持った。

全てが決まっているというのは、例えて言えば発火現象である。

発火現象、つまり物が燃えるということは燃える因子があったと言うこと。

例えばライターの火が燃えている。

ライターの火が燃えるには、その前にライターで火をつけるという動作をしているわけだ。

もちろんそのライターには燃料としてのガスが注入されていなければならない。

全てが決まっているという説としては、私たちが体験してるこの世界。

今現実に起きてる現象というものはこのライターの火に相当する。

つまりすでに起きてしまってる燃えてしまっているこの現実は変わらないわけだ。

なぜならすでにライターで火をつけるという動作をしてしまった後の残像としてこの現実が起きてると言う考え方。

ヨガや仏教的なカルマ論で言えば、このライターで火をつける動作というものが前世で積み上げたカルマに相当する。

そのカルマによって、現在のこの私たちの人生が燃えてるわけだ。

なんだか説明していてうまくイメージが伝わるかどうか自信がなくなってきたが、とにかくそういうことである。

もう一つ例を出してみると電車に相当する。

電車は当然ながら行き先が決まっていてレールが敷かれているから運行できるわけだ。

もちろん運行ダイヤも決まっている。

レールが敷かれていなくて運行ダイヤもなければ当然ながら電車は走らない。

私たちの運命や宿命が全て決まっていると言う話はこの電車のレールや運行ダイヤに相当するとも言えよう。

このような考え方に20代の時の私は反発を覚えたわけだ。

しかし、よく当たるサイキック(霊能者)や占いなどなんとか体験すると・・・・

「あれっ もしかしてある程度はもう決まっているんじゃないか?」

と思うようになってきた。

これは霊能者や占いなどに見てもらわなくても、ある程度の人生経験を積んだ人なら起こる出来事が偶然ではなく、何らかの必然性を持って今まで起きたのではなかろうかと言う自覚や予感はらかの形であるのではないだろうか?

この辺の話をすると膨大な量になってしまうので、簡単に結論だけ言うとそもそも決まっている決まっていないという二元論では片付けられないという話になる。

決まっているんだけど決まっていない。

決まっていないんだけど決まっている。

機会があったらこの辺の話も詳しくしようと思う。