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悟りの勘違いとラグビーと人生  そのままでいいと思っていると神様に怒られる?

昨日は「神と繋がる方法」というのをシェアした。

シンプルに言えば既に繋がっているんだから、それに気づこうという話になる。


面白いもので意識はフォーカスしたものになるので、自己の神性を意識するとそれが活性化してくる。

神と繋がる方法 既にそうであると理解して腑に落とす

 

今日はその続きで…

「悟りの勘違い」

について。

悟りの勘違いあるある

 

悟りや覚醒という分野の勘違いというかトラップとも言える事柄についてだ。

よくあるのが最近のスピリチュアルに多いのだが…

「あなたはそのままでいいですよ」

という”そのままタイプ”ともいうべき教え。

アドヴァイタ系などでもよくあるが…

「あなたは既に”それ”である」

というような表現。

まあ、こういうニュアンスのことは私も良く言うし、これはこれで本当のことなので別に悪いことというか間違いでは無い。

ただ、私たちの思考とはユニークなので色々な教えのイイトコドリを結構する。

「そのままでいいんだ、だって既に完全なんだもの」

みたいな、相田みつお風の教えに脳内変換していたりする。

まあ、これだって別に間違いではない。

 

疲れているときはOK

 

特に…

  • 疲れていたり
  • 具合が悪かったり
  • タイミングが悪くて進めなかったり
  • 失敗したり

して辛い時はに自分を責める傾向のある人はこのように…

「このままでいいんだ」

と自分自身を肯定してあげる教えというか考え方が必要な時がある。

ただしだ。

人生のプログラムというか神の介入はユニークで、あんまりこのタイプの教えでサボろうとすると…

「アンタさ、そのままでいいってちょっとは変えるとこあるんじゃないの?」

的な圧を強めてくる。

マザーアタック 母なる神の怒り

 

圧を強めてくるというのは、そのままでいいと思っていた自分の日常に色々な疑問やアタックが出てくるわけだ。

例えば、そのままでいいと思って心がしばらくは落ち着いても…

「まてよ、もっとやっといた方がいいかな?」

ということが浮かんで、それに手をつけるまで落ち着かなかったり。

また、自分の心の中にそういった思いが浮かぶ以外にも外的要因が働きかける。

例えば、他の人(家族や他人)からもっと働けとか、しっかりしろとか言われたり、現実的にキャッシュフローが少なくなってきたりする。

これが激しい場合はアタックと感じるぐらいある。

そういった場合は…

「そのままでもいいけれども、ちょっとは直すところはあるんじゃないの?」

という流れというか教えを尊重して動き始めた方がいい。

じゃないと現象は変わらないしアタックも変わらない。

 

私は居なくない

 

また、よくアドヴァイタなどでも…

「私はいない」

と自己の不在を瞑想するケースがあるが、これも、まあ確かに居ないといえば居ないんだが、物理的にご飯を食べたり眠ったりするこの体はあるわけだ。

名前だって「田中さん」と呼ばれれば「ハイ」と返事をするわけだ。

その田中さんなり山田さんである個人としてのカルマと意識の不在性とはまた話が別だという話になってくる。

 

お寺にお金が無い

 

だから、この辺は例え悟った聖者でも直面する人生の課題となってくる。

私が聞いた話では、例えば覚醒したチベット仏教の最高位の僧侶の場合など。

本人は覚醒しているので、もう余裕なんだがお寺にお金が無いので、それを集めるために身内が苦労するとか。

覚醒した高位の僧侶でもあれやこれやで大変なわけだから、いわんや俗世間の一般人の我々が「そのままでいい」という風にはなかなか難しいという話になってくる。

極論をいえば生きている限り、なんらかのテーマや課題というのが普通は発生する仕組みになっているのがこの世界という話になってくる。

 

ゲームとして

 

ただ、このテーマや課題というのは嫌だったり苦しいだけでなくて、攻略する楽しみというか面白さもある。

スポーツやゲームだってそうでしょ?

例えば冬に泥だらけになってするラグビー。

あれだって、ゲームだと思うから楽しいのであって、そうじゃなかったら寒空に泥だらけになって、走って疲れて人と衝突していいことなんか一つもない。

私たちの人生もこういった課題やテーマをゲームとしてとらえる視点があれば、もっと楽しくなるはず。

まあ、でも本当に疲れたら休もう。