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神秘体験・至高体験 本当と妄想の見分け方

今日は神秘体験や至高体験について。

私は今まで なるべく自分の体験談を書かないようにしていた。

なぜかと言うと体験談をシェアするのはメリットとデメリットがあるからだ。

ただ、このようにブログを書いたり情報を発信していくとなると、多少は体験談的なものがあった方が読み物として面白いというのも事実なので、体験談や経験談などをシェアしていく予定。

ただ、基本的な話ではあるが、体験談は自分と比較するものではない。

瞑想中のヴィジョンは妄想?

特にスピリチュアルな精神的な分野に関してはそうだ。

数字などの客観的なものでは 表せない主観的な感覚や思いを表現するとマーヤな世界になってくる。

例えばの話、 よく神秘体験 などで 神やグルや天使に会ったとか、ものすごい認識の転換が起こった などの話は そこそこ聞くが、 ヴィジョン的な 神秘体験に関しては その人のマーヤ的な性質が出やすい。

まあ、簡単な話 としては、 キリスト教を信仰していれば キリストに出会い、 ヒンドゥー教を信仰していれば その神々に出会うと言う 話になってくる。

「リアルさん、それって全て妄想なのですか?」

多くの場合は脳内の幻覚である場合が多い。

目覚めていながら(瞑想していると思いながら)夢を見ている状態。

幻覚と言うのは言い過ぎかもしれないが、本当の神秘体験をしたにしろ、何らかの「それ」には出会っているが、ただその人の認識のフィルター がかかってしまっているといえる。

見分け方 図解

簡単な表にすると次のようになる。

神秘体験や至高体験を分類するとこのようになる。

厳密に言えば 二極化できるほど本当は単純な話でもないのだが便宜上分類してみる。

何が 本質的な体験で何が妄想や幻覚的なのか?

それは次の図に書いてあるように、 本質的な体験をした場合、 そこで抱えていたテーマが解決するし納得する。

厳密に言えば体験が消化できなくて納得できるまで時間がかかるケースもある。

しかし何らかの形で解決や納得は出来るし、それは継続する。

一方 妄想や幻覚であった場合。

それはその経験によって自分の 抱えているテーマは 解決にはならないし、 同じルートをグルグル回る。

また一時的な体験によってスッキリはしても、 それは継続しない。

なぜなら根本的に解決・納得しているわけではないからだ。

体験のインパクトや感覚が薄れた時に開放感や認識も消えていく。

ただ、難しいのはこういった分野に興味や執着が強いほど、気がつかない内にエゴが自分の手柄にして宝物として抱え込む。

今、お話した部分はほんの一部。

なぜなら、マーヤ的なこの世界ではもっと複雑なメカニズム、つまりわかりにく構造になっているが、指針として判断する一部としてはこのような感じである。