この前、パートナーのAYAとこんな会話になった。
私
「どうやって『これ』を伝えればいいのかね?」
AYA
「そうね〜」
みたいな話。
ちなみにAYAのTwitter
◆なんらかの体験が起こったら、他人の言葉や経典の言葉で定義づけてしまわず、あらゆる角度から自分の言葉で検証してみよう。
— Rubin’s work @覚醒・瞑想・気づきのワーク (@Rubins_work) November 3, 2020
他者の定義を必要とするならば、それまでの体験だったということだ。#瞑想 pic.twitter.com/uKlx4aNtRc
これというのは・・・・
・覚醒意識
・悟り
とも言える。
ちなみに、悟りの定義としては古今東西の文化体系や宗教などによってかなり異なってくる。
この辺の話をすると、とても入り組んでくる。
また、得てして頭の中の理屈というか、概念的、妄想的な話になってしまう。
誰がどう言ったとか、どの経典には●●と書いてあるとか。
煩雑な説明や議論はなるべく避けたいところではあるが、私が思うに色々な説明方法があり、今回は2つに分けて解説してみよう。
A 意識状態
B 成熟度
の2つだ。
もちろん、もっと複雑な構造というか説明すべき点は色々あるのだが、話をシンプルにする為に今回は2つに絞る。
Aの意識状態でも色々なパターンというか、グラデーションがある。
よく「一瞥」とかいって、悟りの世界(悟りの世界という言葉も変な感じではあるが)を一瞬垣間見たというような体験がある。
例えば・・・・
・世界が光輝いた
・意識が拡大した
・今まで感じたことがない愛に満たされた
・全ての意味がわかった(ような気がする)
などなど。
これは瞑想中にも起こり得るし、突発的な出来事。
例えば事故や臨死体験やショックな出来事でも起こり得る。
また、一時的にそうなる事って消える事もあれば、比較的このような一瞥で垣間見た意識状態が残る事もある。
ユニークな事に事故にしろ臨死体験にしろ、ある意味「死」を疑似体験する事によって意識の転換が起こるという事だ。
ある意味、瞑想とは人為的にこの「死」を再現するテクニックとも言える。
その証拠に瞑想が深くなってくると体の活動が低下して呼吸数も減少していく。
また、集中力が高まってくると臨死体験で報告するようなある種の「光」や別の存在(天使、守護霊、神、その他)を知覚し始める。
私もこの辺を自覚し始めたのが12歳くらいの時で、体外離脱して意識が体から離れる現象が頻繁に起こり始めた。
大体のケースで体に戻ろうと思えば直ぐに戻れる。
体外離脱中に体に近づくと「グワッ」と引っ張られて戻るパターンもあるが、大体は体に意識の一部がまだ残っていて、足の指を折り曲げると体に戻れる。
しかし、ある時いくら戻ろう思ってもしばらく戻れないことがあった。
「ヤバイ」
と思って悪戦苦闘しているうちに、やっと身体に帰還。
その時、なんというのだろう。
体が若干冷たく、麻痺したようにしばらく動かなかった。
死とは言わないが、どちらかというとそっちのベクトル。
今のは体外離脱の話だが、一般的に修行と言われるものを思い浮かべると、肉体の力を削るものが多い。
代表的なものが菜食や断食。
古今東西の宗教や瞑想で断食は比較的ポピュラー。
あとは滝に打たれたり、ひたすら歩いたり、五体投地したり。
睡眠を断ったり。
あとはハードな運動をしたり。
やっぱり私達の身体は栄養を補給しなかったり、睡眠や休養をしなかったりすると、肉体の力というのは落ちてくる。
なぜ肉体の力を落とすのか?
ここがポイントである。
続く・・・・