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超能力と悟りと波長と銀座のブティック

 悟りと超能力

動画でも解説したが補足として書いてみる。

悟りと超能力というのは若干「中二病」的なテーマというか、あまり純度が高いテーマでは無い感じがある。

しかし、子供の頃は誰しも・・・

・スーパーマンやヒーロー

・魔法を使う主人公

などの物語を観て「いいな〜」と思った事はあるだろう。

なぜ、そう思うかというと・・・

「魂としての記憶(憧憬)が含まれているから」

という話になってくる。

誰しもこの世に出てくる前の霊界では、もっと自由な存在だった。

・テレパシー

・空を飛ぶ事

・物質化

・変身

する能力を多少なりとも持っていた。

もっていたというか、意識の属性としてそれがデフォルトとしてある。

「リアルさん、霊界とかオカルト話を出されても困りますよ」

と思うかもしれない。

夢見

霊界という例えがわかりにくければ・・・

「夢見の時」

と言葉を置き換えてみて欲しい。

あたなは夢をみている時・・・・

・空中を飛んだり

・過去に戻ったり

・自分以外のものになっていたり

・目の間で世界がコロコロ変化したり

した事はあると思う。

もともとの意識の特性として上記のものはデフォルトとしてあるわけだ。

今の現実世界からの視点では夢の世界は遠いい不安定なあいまいな世界に感じる。

それこそ「夢」の世界。

しかしである。

夢の世界からみると、この物質世界の方を異質と感じるはずだ。

思い出して欲しい。

心地よい夢から醒めた後。

まだその余韻が残っている。

夢の世界の感触というか、記憶もかなり残っている。

その時は正直、この現実世界より今までいた夢の世界の方が親和性が高いというか、シックリくる。

これは夢を観始める時もそうで、意識が徐々に夢見モードに入ってくると、2つに分かれた道の片方を進んでいく感覚がある。

その時はこの現実世界がボヤケていき、夢見の世界がハッキリと顕になってそちらの方に主体性を感じる。

どちらもリアル

現実がしっかりしていて夢は曖昧だというのは、この現実世界に意識が固定されている時に感じる感覚であって、夢の世界にいる時はこれが逆転する。

つまり、どちらの世界がリアルかというのはその時、どちらに軸足を置いているかによるという話になってくる。

で、夢見の世界にいる時はこの物質性に固定された意識による様々な制限が解除されるわけだ。

それがこの物質世界の常識からみると、まるで超能力を使えているような状態になっているという話。

もっとも、厳密にいえばこの物質化した世界、肉体に固定化された世界から意識が解除されれば、誰でも超サイキックになるかというと、そういう話でもない。

霊界、意識の世界といってもいいが、一見、この世界より自由度は確かに増すような感じはあるが、逆に不自由になるケースもある。

周波数で制限

波動、あるいはある種の周波数に制限されるからだ。

つまり波動・周波数を自在に扱える権限というか意識体であれば、どんな世界にも行き来出来る。

天界や地獄と言われている世界。

地球以外の恒星や惑星。

その他、超過去や超未来や時間を超えた世界。

また、人間には理解出来ないような高度な知恵、認識。

などなど。

しかし、普通はこの肉体や物質化し固定化された世界から開放されても、そこまで拡張した意識になるかというと、なんというか、ケースバイケースというかその意識体によるとしか言えない。

銀座と波動

簡単な例で言えば、この物質世界なら財布にお金が3000円しかなくても高級ホテルのラウンジに入ってコーヒーを飲めるわけだ。

しかし、波動の世界では違う波動が認識出来ないし、仮に出来たとしても同調しなければその世界に入っていけない。

例えるなら、財布に3000円しかないのに銀座の高級ブティックに入れないみたない感覚かな。

ドアマンがいるようなお店は波動が合わないので物理的に入店する事は出来るかもしれないが、気分的に凄くためらってしまって入れないみたいな。

この波動が同調の部分が凄く重要。

波長が合えば・・・

なぜなら、逆を言えば今の状態がイマイチでも波動が同調すればその世界に入れてしまうという性質がある。

例えば・・・

・瞑想技法がパーフェクトでなくても

・性格が悪くても

・誇れる経歴が無くても

・無職でも

・見た目がイケてなくても

・多少頭が悪くても

・貧乏でも

・病気でも

波動が合ってしまえば、神々の世界に繋がって(一時的なケースも含め)しまうのである。

この辺が浄土真宗とかでいう悪人正機(あくにんしょうき)やイエスの罪深い女や石を投げられた娼婦の話にあるように、現在の社会的状況はどうあれ・・・・

「どれだけ神(至高なるもの)に意識が向いているか(波長が合っているか)」

というのが基準になるというか、その世界に繋がって理解・認識出来るかのキーポイントとなる。

以心伝心

なぜなら「それ」は理論やこの頭の理解をこえて直接それとの同調によって理解・体得されるからだ。

神とか至高なるものという話になってくると、スケールがデカくなってくるので、簡単な例で言えばこうだ。

例えばあなたが女性で誘ってくる男性がいるとする。

一人は遊び人風でデートのマナーや遊びに場所、会話などに長けているが、暇つぶしであなたを誘っている。

「ねえねえ、今日遊びに行こうよ〜」

もう一人は真面目なタイプでそういったデートの場所にも詳しく無いし口下手。

だけど、あなたの事を誠実に思って好意を持ってくれている。

こういうケースは理屈云々の前にその人の目とか雰囲気を見れば伝わる。

それと一緒で頭で理解するる部分もあるが本質は「空気」で伝わるもの。

禅で言う以心伝心というやつ。

これが大事。

悟りとか神とかそういった認識もこっち系で伝わる。

という事で話が悟りと超能力という話題から若干脱線したが、とても重要な話なので自然と指が動いて書いてしまった。