今日はチャクラと瞑想中に見える光について。
最近はアニメとか都市伝説とかでも、チャクラとかタットワとかワード的に出てきているので言葉として知っているかも知れない。
それを体験ベースで書いてみる。
暗闇に浮かぶチャクラ
瞑想するとほぼ光は見える。
いつの頃からだろうか。
以前、TM瞑想を習ったとお話したがその前から見えていた。
高藤聡一郎氏の仙道本を読んで実践していた頃が最初だった気がする。
どのように見えるかというと、その日によって違う。
疲れていたり寝不足だったりすると、それほどハッキリとは出てこない。
昨日は手で触れそうなくらい鮮やかな光の幾何学的な蠢く光が出てきた。
光の見え方はその時のコンディションによって変わってくる。
ちなみに、私の場合はチャクラ的(部分的)な光が出てきても切っていく。
透視能力を開発したりする場合は光を使って色々やっていくケースが多い。
ヨガでも仏教でも瞑想の深さの基準として、この光が見えているかどうかで判断する体系が多い。
例えばヴィパッサナー瞑想でもこの光を使う体系と切っていく(没入しないで気づきを入れてスルーする)体系がある。
ちなみに、瞑想中に出てくる光は・・・
ヴィパッサナー瞑想ではニミッタ
ヨガではチャクラ
仙道では丹光
魔術(黄金の夜明け団など)はタットワ
魔術のタットワ
と呼び方はそれぞれ違うし、見えている時の意識状態によって光の種類も違う。
見える時の意識状態によって光の種類も違うとはどういう事かというと、例えば魔術で行うタットワ系のものなどは色の補色を使って行う。
これ系は初期的には単なる視神経と脳の作用によるもの。
だから、ほぼ誰でも図形を瞬きせずに凝視すれば光は出てくる。
例えば下の円の黒い点を凝視(瞬きしない)する。
だいたい10秒〜30秒くらい。
そうすると、青丸の周辺に何か見えてくるハズ。
わかりにくかったら、凝視しながら手前30センチから50センチと遠ざけたり近づけたりしていると、縁の色が変化してくる。
これが補色を使った技法で魔術のタットワが有名。
タットワの本格的な行はやった事はないので詳しくは知らないが、初期的に補色の光を出して、あとは集中力を高めて光を固定してからその世界へ入っていくらしい。
それとは対照的に瞑想が深まった時に暗闇の中でこつぜんと出てくる光があるが、これはかなり集中力が高くならないと出てこない。
とにかく、どのような方法であれ瞑想して集中力が高まってくると何らかの光が出てくる。
ただ、これも若干個人差があって瞑想が深まって光が見えやすいタイプと見えにくいタイプがある。
光の見え方
私の場合は部分的に光が見えるのにプラスして、全体的に光度が増してきて光の中に入っている感じになる。
例えていうと「日の光が差してくる」状態に近い。
そうなってくると、今の日常生活をおくっている意識状態よりも意識がハッキリとして力が満ちてくる。
この辺は言葉では表現しにくいが、この時点で身体の感覚が無くなっているというか、通常の人間としてのフォルムとは違う感じで感受しているので、人間だという意識は無くなってくる。
おまけに普通では感じたことがない力感というか、拡張感に満ち溢れる。
そうなってくると・・・
「ああ、これが本来の意識なんだ」
というのが肌感覚として実感出来る。
ちなみに、この時に感覚は瞑想から出た後でも1日くらい続く。
例えば夕方に瞑想しても次の日の朝起きた時に・・・
「あれ、まだ感覚が残ってる」
という感じか。
ピーティー(喜)とパッサディー(軽安)
瞑想というと眠ったようなというか、そういうイメージがあるかもしれないが実は意識はどんどん覚めていき主観的には明るくなる。
仏教ではピーティー(喜び)とかパッサディー(軽安)とかいう。
ビーティーとは文字どおり座っているだけで喜びが湧き上がってくる状態。
軽案とは主観的には体が軽くなる。
これはヴィパッサナー瞑想をしたからとか、マントラ瞑想をしたかとかの話ではなく(技法による若干違いはあるが)、人間の意識である以上はある種のアーキタイプというか、共通なので同じような状態になってくる。
これは瞑想するしないに関わらずだ。
例えば、あなたも大好きな事をしていると楽しくなったりウキウキして体が軽く舞い上がりそうになることがあると思う。
・ゲームや読書や映画に集中している時
・好きなスポーツをしている時
・好きな異性とデートしている時
・大好きなものを食べている時
身も心も軽くなっているハズ。
瞑想の場合はこういった「対象」が無いというだけの話。
「●●したから」
その状態になるのではなく、その流れ込んでくる本源に戻るというベクトルにより、純度の高いカタチでそうなる。
メンタルアーマ マハリシ曰く
大体はそういう状態になるが、以前も動画やブログで話たかもしれないが、体が疲れていたりメンタルアーマが溜まっているとこの状態にはならない。
以前聞いた話であるが、TMの創始者である故マハリシ・マヘシヨギがアメリカで瞑想を教えた時・・・
「グッスリ眠れるようになりました」
という感想を聞いてガッガりしたという話を聞いた。
まあ、しかしこれもある程度致し方ないと思う。
今まで瞑想していなくて、仕事や家庭やその他で疲れていると、ほとんどの場合はいきなりは瞑想に入れない。
私だってここで偉そうに言っているが、忙しくて瞑想がずっと出来なかったり、寝不足や疲れ気味、また、ジャンクなものを食べ過ぎると光のバキバキ状態にはならない。
瞑想中に寝てしまったりする。
ただ、体調が悪いから入らないかというとそうでもなく、最悪の体調でも入るときは入る。
人間デザインに入っているだけ
ということで、今日はチャクラと光と瞑想状態についてのお話でした。
本来ならこう言った瞑想状態はプライベートな事なので、あまり人に言ったりブログなどに書いたりしないというかしたくない。
ただ、こう言った分野を教えたりシェアする仕事をしているので、人柱というかあえて書いてみた。
何でかというと、こういった瞑想や技法、また体験は特殊で神秘的だと思うかもしれないが・・・
今、まさにこれを読んでいるあなたも同じ状態なわけだ。
人間というデザインに入ってきて、この世界をそのフォーマットで体験しているだけであって、本来はもっと言葉に出来ない意識がある光の海なわけだ。
ただ、それを認識というか自覚が出来ていないだけで、瞑想とか各種技法はそれを覆い隠しているもろもろの要素を取り除いていく作業でしかない。
だから、瞑想的な技法が向いている人はコツコツと続ければ、いづれ想像もしなかったような世界が待っている。
例えば・・・・
続く・・・