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覚醒と悟り 断食との関係性

前回は悟りや覚醒には2種類あるという話を始めた。

今回はその続き。

まだ前回の記事を読んでいない場合はこちらから

なぜ肉体の力を削るのかという話だった。

古今東西の瞑想や修行は・・・

・断食をしたり

・菜食をしたり

・断眠をしたり

・強い負荷を肉体にかけたり

する方法が多いという話をした。

また、瞑想とはある意味擬似的に「死」を再現するプロセスであるという話もした。

ではなぜ肉体の力を削るのか?

下の図を見て欲しい。

 

なぜ肉体の力を削るのかというと、比較相対的に・・・・

 

 

「肉体の力が落ちてくると意識の存在が明確になってくる」

という構造がある。

「リアルさん、健全な肉体に健全な精神が宿るということわざもありますよね?」

という話もある。

それも確かにそうなのだが、その場合の健全な精神というのはあくまで「この世界に限定された」精神の話。

もっとトータルな意味で、ベースとなる「意識」は私達の肉体に規制されていない。

であるから、この肉体の機能や力が低下していった時にその存在が顕になる。

端的な例が臨死体験だ。

あれなどは脳の機能が停止しても・・・

「ご臨終です」

と家族に報告する医師の会話や姿を知覚しているわけだ。

つまりこの肉体に制限されていない元々の意識である「私」が知覚している。

まあ、臨死体験までいかなくても高熱が出た時に不思議な体験をしたという経験はないだろうか?

あれなんかも一時的に肉体の機能が低下してパワーが削がれた事により、相対的に意識の働きが明確になって他の波動をキャッチし始めるケースの一例。

であるから、死というのは普通に生活している私達の次元から見れば・・・

・暗い

・冷たい

・死滅

・嫌な

・忌み嫌うもの

みたいなイメージがあるし、確かにそれは死の一面ではあるが、元々の私達の意識形態からしたら光であり開放であり爆発である。

もっとも・・・・

「光であり開放であり爆発である」

といったが、それはニュートラルな状態で還元された時であって、なんらかの強い執着や後悔や先入観を持っている場合はこの限りではない。

なぜなら、その信念体系というか想念世界にある意味規制されるので、本来の自由は堪能出来ない。

という事で話を戻すと・・・

「本来の瞑想や修行とは擬似的に死の状態を作り出すという事である」

という話だった。

本来なら死んでから・・・・

・生きてきた人生を振り返り

・死後に反省や懺悔をしたり

・生きてきた人生の意味を理解したり

・神もしくは神々や天使に出会ったり

・本来の意識状態に戻ったり

するわけだ。

それを生前にやってしまおうというのが古今東西からある本当の意味での修行ということが出来る。

生前のうちにやってしまおうというのは頭の中で色々と考えたり学んだりというのもそうだが、具体的にエネルギーの状態も再現してしまおうというのが瞑想のシステムと言えなくもない。

逆に言えば、それが出来ればいいわけだ。

どういう事かというと・・・・

・生きてきた人生を振り返り

・死後に反省や懺悔をしたり

・生きてきた人生の意味を理解したり

・神もしくは神々や天使に出会ったり

・本来の意識状態に戻ったり

というのを例に出したが、これらの事がある程度完了するのなら方法はなんでもいいという話。

Aさんにはヨガがいいだろうし

Bさんにはキリスト教がいいだろうし

Cさんには仏教がいいだろうし

Dさんは無宗教だけれども、何かのキッカケでそうなるかもしれない

これはその人のプログラムというか、カルマによって変わってくる。

この辺は前回お話した覚醒や悟りは2種類あり・・・

A 意識状態

B 成熟度

のBの成熟度の話になってくる。

成熟度というのはどういう事か?

例えばの話、意識状態が物凄くバキバキになったとする。

・意識を拡がって万物との一体感も感じる

・神(らしき)ものも感じる(と思う)

・世界が光り輝いて見える

・直感で今まで知り得なかったことも知る

・至福に包まれる

などが起こったとする。

しかし、現実というのはある意味残酷なもので、そういったピーク体験的なものは永遠には続かない。

少なくとも、この肉体機構においては抑制された至福感は比較的永続するが、死ぬ程のエクスタシーが延々と続く状態で生活出来る仕組みにはなっていない。

そこで・・・

「なんで以前のような覚醒の状態にならないのだろう」

「なんで徳を積んできたのに●●が痛いんだろう」

「なんで私は覚醒したハズなのに会社で馬鹿にされるのだろう」

みたいになりこの世界を嫌悪するようになる

「こんな低次元の世界は嫌だ」

「地球は嫌いだ、もっと元にいた高次元の世界に帰りたい」

「周りの奴らは意識の低い奴ばっかりだ」

「もう大嫌いだ!」

みたいに、生半可に覚醒意識を体験しただけに、その溝は深くなっていく。

であるから成熟というのが必要なわけだ。

成熟というのは覚醒意識の浸透というか、それをもっと深めるという意味もあるがそれだけではない。

意識的な成熟というべきものも必要になってくる。

ちなみに、ここの部分の割合もその人によって違ってくる。

例えば・・・

覚醒意識 50

成熟度  50

が基本だと仮定すると・・・

続く・・・