覚醒・悟りシリーズの続きから。
前回は覚醒にはある種の強さが必要で見ている事を観るという話だった。
認識の深さを出す修行法・瞑想法も何種類かある。
A 瞑想を深めるタイプ
B 気づきを深めるタイプ
の2種類あり、私の場合はAから入ったという話。
厳密に言えば10代の半ばに自観法という「観る」気づき系の瞑想をしていたのでBから入ったわけだが、ある種の強さが足りなかったという話だった。
「これはもしかして・・・」
となったのが瞑想が深まってから。
瞑想が深まったのは30代の時。
カルマ的というか、徳が足りなかったというか10代である程度の瞑想状態に入れたものの、20代は忍耐の時期だった。
社会に揉まれたわけだ。
20代頃、特に最初の頃は瞑想修行を進める時間もパワーも確保出来なかった。
観察する瞑想はある程度マスターしていたし、18歳の頃にTM(トランセンデンタル・メディテーション)のマントラも頂いていたので、日々の瞑想はある程度は出来ていた。
しかし、深めるためのリソース(時間も体力も人脈)も揃っていなかった。
例えば20代の初めの頃はベンチャー系の仕事についていた。
ベンチャーと言ってもITではなく当時、飲食業界のベンチャーと言われる誰もが知っているあの企業。
会社の要請で職場へ都内の職場へ歩いていける距離に引っ越した。
朝の4時に仕事が終わり、コンビニによって夕飯(朝飯?)を買って帰る日々。
一休みして朝日を浴びながら瞑想して寝るみたいな生活。
この頃、不思議な体験を多くした。
前のお話で・・・
「肉体と意識のバランスがあり、意図的に肉体の力を削って相対的に意識の存在を顕在化させるのが瞑想や修行」
という話を書いたが、意図せずして肉体の力を削られていたので意識の存在が顕になった状態。
どういう事かというと、基本的に労働時間が長すぎた。
入社して半年もすると昇進して管理職になった。
今思うと20歳そこそこで管理職もないのだが、実はトリックがある。
管理職手当が月に2万プラスされるが、残業代は一切出なくなる。
無限残業と言ってもいい。
おまけに夜間も働いたりする。
私はまだいい方だったが、酷いケースだと1日に基本17時間は働く。
また、会社に連日泊まり込み(椅子の上で寝る)。
みたいなパターン。
なんだか瞑想修行の話がブラック企業体験手記みたいになってしまったが、こういうのはザラだった。
このように肉体的な負荷にプラスして精神的にはノルマのプレッシャー。
月1の会議では今でいうパワハラレベルの指導を受ける。
こちらの精神的プレッシャーの方がキツかった。
上のイメージ画像で火渡りの荒業の画像を表示しているが、こう言ってはなんだが、ああいったものより現実世界の仕事だったり人間関係の方がハードだ。
なぜなら、宗教的な荒業は時間が決まっている。
数時間か何日か知らないが、終わったらサッパリするみたいな話。
しかし、現実世界の荒業は延々とエンドレス。
結構ハード。
こんな状態では瞑想修行が深まるハズもないのだが、ある意味バキバキになっていた。
不規則な睡眠とチープな食事、長時間労働、昼夜逆転の生活が荒業の効果をもたらしたのかもしれない。
体外離脱の回数が多くなり。
瞑想中は光に溶け込み。
霊感みたいなやつも冴えてきた。
例えば対外離脱だが通常は寝ている時に起こる。
しかし、この頃は会社のオフィスで椅子に座って休憩している時に起きた。
「ちょとだけ目をつぶって休もうかな」
と休憩中。
突然、身体がフリーズする。
軽い金縛り状態。
「あれっ・・マズな・・まぁいいか」
とそのまま固まっていると音が聞こえる。
不思議なものでこのような状態の時は扉や壁が透けて外の情景が見える。
40メートルくらい先の道路に子供達が20人くらい行列を作って行進している姿が見えた。
お祭りなのか、楽しそうに合唱したり笑いながら行進している。
何を合唱しているのか?
アーナンダー♪ アーナンダー♪
と合唱しながら行進してこちらに向かってくる。
アーナンダ♪
どんどん近づいてくる。
「アーナンダ? なんじゃそれ?」
しまいには壁を突き抜けてこっちに来た。
「今、瞑想して動けないから、こっちに来るな!」
と思ってもお構いなしにやってくる。
バーン
と子供達の行進に激突されてフリーズ状態が解ける。
「あれ? 今のはなんだったんだ??」
後でアーナンダという言葉あるというのを知った。
このように、神秘的な体験がこの頃頻繁に起こった。
が、しかし、それは神秘的な体験ではあったが、本質的に瞑想が深まった訳ではなかった。
ただ、目の前の現実が異世界になったような幻惑を感じた時期だった。
Aの瞑想の深さもBの成熟度も足りていなかった。
特にBの成熟度。
これはパズルに似ている。
必要なピースが揃わないと絵が出来ない。
しかし、これもまたプロセスなので当時は不満タラタラだったが、今思えば必要なステップだったのだろう。
話が少し脱線したが、私が最初に「これ」の意識を意識し始めたのは30代になってからだった。
30代になったある日の事。
続く・・・