マザー」「母なる意識に導かれて」…タイトルどおり、著者の基本ベースはタントラだ。
アドヴァイタやマインドフルネスがこの世界の創造の源「以前」の「空白」を指向し、個の発生を無化して一足飛びに意識の反転を図るのに対し、
タントラは二元の原理に踏みとどまったまま、まさに「ここ」において顕現しつつあるあらゆる現象をテキストとして読み解きながら、「こちら」と「あちら」をまるごと「包括」し、爆発的なエネルギーとともに同時に「飛ぶ」。
「こちら」とはすなわち、マザー=すべてを産み育て存続させる根本原理によって成り立つ現象世界である。
マザーはあたかも意志のある者のごとくすべてに浸透し、介入している。
自分も経験があるが、アドヴァイタやマインドフルネスのとる戦略は、ともすると袋小路に陥る。
なぜなら著者も語るように、強烈な空の一瞥体験があった後も「こちら」側の苦悩はおかまいなしに起こり続けるからだ。
「こちらもあちらもない」「苦悩している自分はいない」とすべてを切り捨てるのはある意味、怠惰であり片手落ちだ。
そもそも、もともと「それ」であったのならば、すでに知っている「それ」そのものを「こちら」であえて概念化することに意味があるのか?
むしろ「それ」と「これ」の表裏一体、二人三脚のとてつもない表現を愛でるために生まれてきたのではなかったのか?
そのことに気づかせるために、マザーはずっとずっと私たちの成長を待っていてくれたのだ。
マザーが誰にも気づかれずに存続させていてくれた「これ」は、常に「それ」の答えとして目の前にあったのだ。
その意味で、著者の遍歴の道筋は完璧であったといえよう。
マザーに先に出会っていても表面的な愛の理解にとどまり、「それ」と「これ」の意味の深遠さを見過ごしていたかもしれないから。
「それ」と「これ」の分岐点、たえざる創造の現場は、文字通り無限に連なる「爆発」だ。
「爆発」は「愛」なんて生易しいものではない。
その「爆発」の現場に身を投げ昇天するのは、二元あってこそなのだ。
「こちら」側の私たちは爆発によって無限の瞬間に「はじまってしまったもの」をつねに後追いで見ている。
あたかも何百光年も離れた超新星爆発の過去の光を「今」という名のもとに見とどけているように…
この仕組みを司るマザーの意向を畏敬の念とともに汲みとっていくことによって、母心ゆえに止められていたエネルギーが
怒涛のごとく雪崩れこみ、時間を超えた爆発の源へ帰還するのだ。
マザーはすべての子供たちのそのタイミングを、今か今かと見計らっている。
自分の知るかぎり、日本で本当の意味でのタントラを教えている人は少ない。
アドヴァイタブームが落ち着き、マインドフルネスが一般に浸透してきた今こそ、知る人ぞ知る価値ある教えだといえるだろう。 Amazon カスタマー
かなり面白かった!
リアルさんはやはりすごいなぁ~と思いました。
私もマザーのエネルギーを浴びながら、修行している最中なのだろうか…と感じました。
こんなに分かりやすく瞑想のことやエネルギーのことを書いた書はみたことありません。
ありがとうございます‼ ゆっきー