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it会を開催と執着した時素晴らしいものでもマーヤになる話

先日は都内でit会を開催してきた。

 

it会というのは一言で言えば…

「神との繋がりを再認識する場」

とも言える。

特に瞑想をしたり、特定のワークをするわけではない。

だから、よくわからない人が参加したとすると…

「なんだか映画に出てくる酒とかドラックの断薬サークルみたいだな」

と思うかもしれない。

がしかし、私が経験した中でこれはかなり深い技法だとも言える。

なぜなら、深い教えほど見た目はシンプルになり、受ける人のレベルが如実にあらわれるからだ。

ではこのit会というものではどんなことをやっていくのか?

一つはエネルギーや場の共有というものをやっていく。

端的にいうと、それが酔いというものになって自覚される。

やはりある種の知恵や教えというのは、文字を超えて口伝として。

また、時には言葉を超えた意図として直接伝わるものだ。

それがエネルギーや感覚として直接インプラントされる。

その他には、こういった場ではマーヤが如実に出てくる。

マーヤというの何かというと…

「既に私達はそれ(神、あるいはその一部)であるのに、特定の思い込みや執着によって自覚出来なくなっている」

ものをマーヤという。

これは各自によって違う。

ただ、多くの場合、その人が大事にしている…

・体験だったり

・経験だったり

・考えだったり

ものが実はマーヤになっていたりする。

これらの体験自体は悪いものではないが、本人の執着が問題になってきたりする。

私もそうだったが、特殊な体験、例えば体外離脱や深いサマディーを体験すると逆にそれが障害になりやすい。

例えば…

・何時間も体の感覚や想念なしに集中して瞑想出来たり

・チャクラやヴィジョンが見え出して、ある種のシディ(超能力)的なものが出てきたり

・直感が冴えわたって、知らないことがわかったり

・意識が広がりこの体が自分では無いとわかったり

これらの体験は別に悪い事ではない。

ある種の制限を超えて意識本来の姿を実感出来たという意味ではOKである。

がしかし、これをエゴの肥やしとしてしまうと問題がある。

自分がまるで霊的なエリートになったように感じて、他を見下したり、そこまで行かなくても自分が獲得したトロフィーのようにコレクションしたり。

また、自分が波動的にどのくらいレベルアップしたかを確認したり。

これらは物質的な獲得エゴとなんの違いもない。

世間的に出世や名声、金銭を多く高くしたものが勝つゲームからは一見脱出してスピリチュアルになった気になるが、階層が違うだけで同じベクトルだとも言える。

どこまで行っても「自分」だ。

自分のオーラ

自分のチャクラ

自分のエネルギー

自分の瞑想の深さ

自分がどれだけカルマの徳を積めたか

自分の覚醒

などなど、どこまでいっても自分が中心になっている。

そうではなく、神の意図をどう汲み取る事が出来るか?

仮定でいいので神からの視点を想定してマーヤが解け始めた時。

本当の人生が始まるとも言える。

その時、自分の過去や今の自分の状態にはそれほど興味が無くなってくる。

なぜなら、ある意味視点がシフトしつつあるからだ。

そうなった時、実は過去の体験はネガティブであれボジティブであれ、それが自覚するための付箋だったと気づいた時に過去の呪縛が解けるシステムになっている。

それがある意味、マザー的な修行だとも言える。

これは物凄く高速で修行が進むが、一人でやるのは難しいのでit会やプログラムのようなサポートする仕組みを作っている。