今回は私の先生と言うテーマでブログを書いてみたいと思う。
ちなみに、初めて私の分を読む人もいると思うので、簡単に自己紹介を。
12歳の時に体外離脱。体験が始まって… .
「今いる世界が全てじゃないかもしれない」
「死後の世界もあるかもしれない」
「真実の世界はどうなっているんだろう?」
と言うような疑問を抱き始めて、最初は独学で学んだり瞑想をしたりした。
この辺のところは、最初のKindle本に詳しく書いてあるので興味のある人は読んで欲しいのだが、やっぱり本格的に習おうと思うと、誰かに習うと言うのはどんな分野でも王道だと思う。
自観法
1番最初の最初は自観法という瞑想法を通信教育で習った。
自観法というと禅や内観を思い浮かべる人もいるかと思うが、私が最初にならった自観法は戦前に外交官であったが、後に心霊研究家として活躍した故仁宮武夫氏が開発したもの。
これは自分の気づきの意識と言うものを自覚して、思考とか感情にフォーカスして、それから脱却すると言うシンプルではあるが、王道的な方法だった。
この時からコンディションが良いと、周りの世界が輝いて見えたり、至福体験をし始めたり、夢見の内容が変わっていったりして興味深かった。
後は、自己流としては、高藤総一郎氏の仙人シリーズを読んで小周天をやったり、お年玉を貯めて確かマンカインド社というところから出ている金属製のピラミッドを購入して、その中で瞑想したり宿泊したりしていた。
通信教育ではなくて、実際にどこかに行って、誰かから瞑想を習ったと言うのはTM瞑想だった。
当時は、今みたいに、様々なスピリチュアルな情報が少なく、伝統的なヨガとか座禅を習うか、もしくは当時有名だったのはシルバマインドコントロールと言う技法とか、後は密教の桐山靖雄氏(阿含宗)の本やヨガの本山氏ぐらいしか有名ではなかった。
UFOと宇宙
ある日、確か「UFOと宇宙」と言う雑誌及んでいると、マジシャンのダグヘニングとTM瞑想の教師が対談している記事に出会った。
「これだ!」
と思い、18歳の時に確か渋谷でTM瞑想を習ったのが最初だと思う。
なんかこんなマニアックな雑誌を読んでいるとダンダダンのオカルンぽいが、私は学校ではなく家で読んでいた。
であるから、一番最初の先生はTM瞑想を世界に拡めたマハリシ・マヘッシ・ヨギだとも言える。
まぁ、直接習ったわけではなく、そのマハリシ瞑想の日本の先生から習ったわけだが。
ちなみに、TM瞑想と言うと初心者さんがやるやつねみたいに思う人がいるかもしれないけれども、実はこれはこれですごい。
もちろん相性というか、すべての人に合うかどうかはまた別の問題として会う人は、このマントラ瞑想だけで完成というか充分なくらいのものだ。
私の場合は、こういった瞑想を教えたり、情報発信したりすると言う仕事があったので、このマントラ瞑想以外にも、様々な瞑想を体験させられたというかすることになったが、人によったらこのTM瞑想だけで充分だと思う。
なぜ充分かというと「純粋意識」というものが体験出来るからだ。
純粋意識
「リアルさん、純粋意識ってなんですか?」
と言う質問もあるかと思うので、簡単に解説しよう。
TM瞑想によると、私たちはこの純粋意識と言うものに瞑想すると到達することができると言われている。
到達するというか、実は、この純粋意識が展開した世界が、この現象世界なわけで、別に離れて存在してるわけではないのだが。
まぁ、この辺の話はおいおいするとして、とにかく瞑想すると、この純粋意識とやらに到達するんだと言う話から始まる。
この話を聞いたときに
「なんだかな、漠然としてるよね」
と、思った18歳の夏であった。
呼吸停止
だが、実際にマントラをもらって瞑想すると確か数回目で呼吸が止まったような感じになっていった。
呼吸が止まると言うのは、別に機械で計測したわけではないから、主観的な感覚なわけだが、1分間に呼吸が数回とか、もしくは1〜2分は止まっている感じがした。
呼吸が止まると、同時に意識も鎮静化していくのか、安らぎに満ちた静けさでいっぱいになっていった。
であるから、最初は…
「これが、純粋意識と言っても、昼寝とそんなに違わないよね」
位のひねくれた感じで思っていて。
「TM瞑想といっても大したことないよね」
ぐらいな傲慢な感じだった。
若さゆえというか、この傲慢感というのは私の場合結構あった。
しかし、どんな分野でもそうだが大した事ないと思うのは「自分」がたいした事ないのが大抵。
その深さが理解出来ないというのは往々にしてあるわけだ。
ビカビカ
この認識が変化していったのは上位プログラムのTMシディというものを受けた時。
実は純粋意識と言うのは、ただ静かなだけではなくて、ものすごくダイナミックで言葉にできないものだというのを体感し始めたのがこのぐらいから。
例えて言うと、最初は海に入って波に揺られているような感じだけれども、瞑想が深まってくると、意識は冴えたまま、マグマが煮えたぎっている。火山の噴火口に投げ込まれる感じとも言えよう。
ものすごくビカビカでパワフル。
今、ビカビカという言葉を使ったが、本当に圧倒されるような光に包まれる。
まぁ、ちょっと盛って言ってしまったが、疲れていたりコンディションが悪い時はそうならないが、コンディションが良い時はビカビカ。
あと、この辺の体験は、個人差があって、人によってはシディのスートラを習っても変化をなにも感じない場合も出てくる。
まあ、この辺はなんでもそうだが、合う合わないとかどれだけ努力したかとかの差はもちろん出てくる。
話を戻すと、これはTMのシディの教師が言っていたが、純粋意識はあまりにもパワフルなので、私たちの肉体や神経系等は数秒しか耐えられないとの話。
結果、昔はフライングといったが、座ったまま、ぴょんぴょん飛び跳ねるような状態に簡単に言うとなるわけだ。
この純粋意識を頭の理解だけでなく、体で体感して何年も定着させるプロセスを踏めば、人によってはもうこれだけで充分。
なぜなら、自分がこの肉体と言う枠の中だけでなく、それを超えて広大に拡がる純粋意識と言うものが本体で、その表現の1つがこの体であり、私と言う人生だと言うことに気がつけば、それはそれで1つの納得と言うものだろう。
続く…