進化したGPTs
チャット GPT がすごいことになってきた。
アップデートが頻繁に行われているが正直言ってこうやって直接書く文章よりは劣っているというか、なんだか文章が味気なくなるし没個性的というかマニュアルチックになってしまう 傾向があると思っていた。
しかし、チャットGPTS になったことによってかなり進化した感がある。
特にビジネス的な文章や一般的な知識をまとめたり するのにはかなり有効。
ブログの文章においても、個人的な体験など パーソナルな要素が強いもの以外はかなり書けてしまうのではないかと言う気がしている。
至高体験が忘れられない?
例えば、ここ最近は、プチ 瞑想講座ということで瞑想体験等について話している。
動画にして気づいたのだが、ある要素が欠けていたことに気づいた。
それはグラウンディングである。
瞑想と言うと、意識が拡張した体験やある種の至高体験 に フォーカスしがちである。
これはその体験があまりにも素晴らしく忘れられないものとなるからである。
しかしながら、その弊害として、その体験が忘れられず、いつもの日常生活が退屈でつまらないものに思えてしまうということが挙げられる。
あの素晴らしい愛をもう一度
確か中学時代に音楽の時間に歌った歌で…、
「あの素晴らしい愛をもう一度」
という歌があったが、これと同じで… .
「あの素晴らしい瞑想状態をもう一度」
と言うような状態になってしまう。
結論から言えば瞑想に限らないのだが、人生の素晴らしい瞬間は 自分の意思で起こすと言うよりも、何らかの偶然とも言える要素が重なって、 奇跡的な状態が起こるからこそ、素晴らしい 瞬間を味わえるとも言えるわけだ。
であるから、逆説的にその素晴らしい瞬間を再現しようと思えば思うほど、その意図が邪魔になってしまい、いつまでたってもその状態 になるのを妨げてしまうような現象が起こる。
このように悟りや至高体験、 奇跡のような瞬間は私たちの努力をして何かをすると言うベクトルとは違うベクトルに属するものである。
実はグラウディングが大事
であるから、そういった体験や状態は、私たちの本質的な 意識といってもいいし、神と言ってもいいが、そういった 今現在意識できる自己を 超えていったところの働きによって起こるという、 ある種の明け渡し状態にしておくのがベストであるとは言える。
それとともに、上を目指そうと思えば下に目を向ける必要がある。
それがグラウンディングである。
ブログ執筆専用のチャットGPTを作成した
そのグラウディングの記事を書こうと思ったのだが、チャットGPTsになって自分用のチャットGPTを作れるようになったので、ブログ用のチャットGPTを作って記事を書かせてみた。
以下、チャットGPTSに私のブログの文章を読み込ませて、 グラウンディングについて書いてもらった記事を載せてみる。
下の画像のブログヘルパーが先ほど作ったブログを書く専用のチャットGPT。
このように自分のデータを読み込ませたり、設定することによって専用のチャットGPTが作れるようになったというのが今回のGPTsのアップデート
チャットGPTsから↓
グラウディング、これは私たちの精神的な旅において、しばしば見過ごされがちな部分です。
瞑想の至高体験が空高くを舞う鳥のように、私たちを上へ、内面の深淵へと誘うものだとするならば、グラウディングはその逆、私たちを地に足をつけ、現実世界にしっかりと根ざさせる力と言えるでしょう。
たとえば、瞑想によって得られる深い洞察や至福の瞬間は、しばしば私たちを現実の枠を超えた場所へと連れて行きます。
そうした経験は、心の広がりを感じさせ、私たちの内面世界を豊かにしてくれます。しかし、その一方で、私たちは日常生活の中で生きている存在でもあります。そこには家族、仕事、社会的な責任など、無数の「地に足のついた」事柄が存在します。
ここでグラウディングの重要性が浮き彫りになります。
グラウディングは、瞑想や精神的な探求を通じて得た洞察や平和を、私たちの日常生活に統合するプロセスです。これは、精神的な体験を単なる抽象的なものではなく、実際の生活の質を高める具体的なものとして活用することを意味します。
例えば、瞑想を通じて得られた平和や内なる静けさを、仕事のストレスや家庭生活の困難に直面した時に思い出し、その力を利用することができます。
また、瞑想で得た洞察を用いて、人間関係を改善したり、より良いコミュニケーションを図ったりすることも可能です。
このように、グラウディングは瞑想の至高体験を「地上」の現実に根づかせることによって、私たちの人生をより統合的で、バランスの取れたものに変えていくプロセスです。精神的な飛翔と日常生活の現実性、この二つを上手に統合することが、真の内なる平和への道と言えるでしょう。
確かに、仕事の失敗や人間関係のトラブル、体調不良など、一見するとネガティブな出来事は、私たちを深く悩ませることがあります。
しかし、これらの出来事が実はグラウンディングの一環であるという視点を持つことは、私たちの人生をより豊かに、そして統合的にするための重要なステップです。
考えてみてください。
仕事での失敗は、私たちに謙虚さを教え、自分の限界と向き合わせます。
人間関係のトラブルは、コミュニケーションの技術を磨き、他人の視点を理解する機会を与えてくれます。体調不良は、自分の体を大切にすることの大切さを思い出させ、心身のバランスを再調整するチャンスを提供します。
これらの経験は、私たちを地に足がついた現実へと引き戻し、内面的な成長を促します。瞑想や精神的な探求が私たちを高みへと導くように、これらの「ネガティブな」出来事は、現実世界での私たちの根を深くし、より強固なものにしてくれるのです。
長期的に見れば、これらの出来事は私たちの人生をより良く統合する手段となり得ます。
それは、私たちが日々直面する挑戦を乗り越えることで、より強く、賢く、そして寛容になれるからです。
その結果、内面的な平和と外的な世界とのバランスがとれた、豊かな人生を送ることが可能になります。
このように、グラウンディングは単に精神的な探求の補完としてではなく、日常生活の中での困難や挑戦を受け入れ、それを成長と変化の機会として活用することにも関係しています。
それは、私たちがより統合された、意味ある人生を歩むための重要な鍵なのです。
チャットGPTの可能性
以上がチャットGPTSによって確かに文章としては私が書いたものより、文法というか形式的には整っているとは思うが果たしてそれが面白みがあるかどうかとなるとまた別問題と言う話になってくる。
とは言え、ちょっとした文章や 下書きというか叩き台としてはアリなんじゃないかと言う感じになってきた。
このペースならあと数年、もしかしたら数ヶ月以内に本人が書いたのとわからない位の文体 がAIによって再現できるようになるかもしれないと言う可能性は感じる。