忙しくて後で読みたい場合はLINEに登録してください(こちらをクリック)

仮想通貨が爆上がりと霊的な世界では価値観が逆転する話とありがとう村

今日は幸福と不幸が逆転する話。

仮想通貨が爆上がり動画

先日、YouTubeで仮想通貨の話をした。

友人がカルダノ(ADA)を10万円買って、億までは行かないがかなり値上がりしたという話。

私自身もそこまででは無いが、チリーズというのを買って20倍くらいは値上がりしたという話。

私の専門は瞑想系なので、このようなお金系の話をシェアするのもどうかと思ったが、仮想通貨についての質問もいくつか頂いていいたし、まあ、いいかなということで公開した。

まだ動画を観ていない人は観ておいて欲しい。

今日は補足としてエネルギー的な注意点を少しだけ。

結論から言えば、霊的な視点では・・・

「幸運は不幸で不幸は幸運である」

という話がある。

ありがとうおじさんとは

これは昔、ありがとうおじさんの村に行った時の記憶になる。

もう15年くらい前になるだろうか。

友人が「ありがとうおじさん」なるものに傾倒していた。

ありがとうおじさんとは神道系の聖者さん。

現在は故人であるが、その頃はかなりの人がおじさんが住んでいる琵琶湖のありがとう村に通っていた。

ありがとうおじさんは20代の頃から一日5万回の「ありがとうございます」という感謝行や仕事をしながら100日間の断食行により覚醒。

その後、47歳で仕事を辞めて祈りだけの生活に入る。

そのおじさんに瞑想仲間である友人がハマってしまった。

「どうしても滋賀県までの運転手が足りないので、1日だけ村に同行してくれ」

と頼まれて、仕方が無いのでありがとう村へ行く事に。

ありがとう村へ

ちなみに、その頃はヴィパッサナー瞑想をやっていたので・・・

「ありがとうございますって唱えるだけか、レベルが低いんじゃない?」

と内心思っていたので、渋々同行。

今思えば、感謝行というのはシンプル故にある意味高度で、それが出来ればかなりハイレベルの瞑想になるというのは体感したが、その時はそこまで思えなかった。

で、そのありがとうおじさんであるが、とにかく能力的には凄いらしい。

どのように凄いかというと、骨折をヒーリングで治してしまったり、どこへ行っても治らない病気を治してしまう。

「ふーん そうなんだ」

と思いながらありがとう村へ。

岩のような

実際にありがとうおじさんに会ってみると、今まで会った聖職者とは違い体格がレスラーっぽい。

大きくて太くて岩のよう。

ただ、雰囲気は柔く素朴な笑顔がチャーミングなおじさんだった。

実はこのありがとう村ではキツイ修行が待っていた。

その話は今回は話題が逸れるのでしないが、とにかくありがとう村というところへ行ったわけだ。

そのありがとう村のトイレに入った時に小冊子が置いてあった。

謎の小冊子

おじさんの教えをまとめた小冊子。

「なんだ、これは」

と思い読み始めた。

それによると・・・・

「幸運は不幸で不幸は幸運である」

という内容。

「この世での幸運は霊的世界では不幸になりえる。

また、この世での不幸は霊的には幸運である」

という話。

具体例として宝くじが当選した話が載っていた。

宝くじに限らないのだが、思わぬ幸運というのは多かれ少なかれ誰しも経験するだろう。

・宝くじに当たった

・株や暗号通貨が爆あがりした

・財布を拾った

・思わぬ出世コースに乗った

などなど。

このようなこの世界での幸運は実は・・・

「徳を使ってしまった」

ことになるという話。

つまり、突然の幸運というのは幸運になっただけの因子はあったわけだ。

その因子が使われたという事は、使ったのだからマイナス。

前世だかあの世でだかわからないが、とにかく貯めた徳というポイントを消費してしまったわけだ。

だから、霊的なバランスではマイナスになっているので、いい気になっているとこの世界でも運気が下がっていく。

宝くじで不幸に

具体的には宝くじに当たって幸福になった人はいないみたいな話はよく聞く。

Google検索で「宝くじ 当選 不幸」と検索するとか719000件ヒットする。

・無駄遣いして浪費したり

・親戚知人にお金をせびられたり

というのもそうだが、運命のバランスとして他の部分にも皺寄せがいくというケースが多いらしい。

逆にだ、この世界で不幸とされているもは霊的には幸運であるという話。

病気や人間関係の苦労や損失、その他諸々のものは過去のバッドカルマの解消として起こるわけだ。

その不幸が起こることによって、魂のカルマが解消されるから、霊的な視点でみるとそれは神の恩寵であるとも言える。

であるから、私達一般人は不幸なことに対して憂鬱になったり落ち込んだりするが、聖者やそれに近い人は不幸を喜ぶ境地にいる。

このありがとうおじさんの話は極論に聞こえるかもしれないが、意外というか精神世界ではこの話はポピュラーである。

ヒンドゥーでも仏教でも大体同じような解釈である。

例えばインド占星術を受けたことがある人はわかると思うが、運命の処方というものがある。

運命改善の宝石やヤギャ

運命を改善する為に、宝石を身につけたりヤギャ(護摩)やプージャをする。

これらの処方をすることにより、良い運勢はより良く、悪い運勢は緩和されるという。

しかしである。

ある一定のレベルになった行者はこれらのことはやらないらしい。

なぜなら、先ほど言ったようにこの世的には不幸でも霊的には幸運なので不幸が喜びになるという話。

であるから、最初に感謝行はシンプルだが高度だと言ったわけはここにある。

つまり、どんなことも神に感謝していればそれでいいという話にはなるが、なかなか難しいという話にはなってくる。

とはいえ、難しいながらも・・・・

「ああ、これは不幸な出来事だけれども、これでカルマが解消したんだから良しとしよう!」

と思うようにする事は出来る。

そうやって、一歩一歩進んでいくのが王道だとも言える。

全ての幸福や不幸からの脱出

という事で、やっぱり生きているとラッキーな事よりアンラッキーな事が多いケースもある。

というか、最終的には全てを手放して死んでいくわけだから、この世的にみれば最終的にはマイナスに見えてしまうかもしれない。

ただ、私たちは永遠の存在であるという認識。

これは絶対的な確信でなくとも、多分そうなんだろうレベルでもいいので、そういった長いスパンで認識した場合、こういった全ての幸福や不幸から抜け出すことが出来るようになってくる。

もちろん生身の分際だから、色々あるだろう。

しかし、そういった認識を持つのと持たないのとでは全然違う。

とにかく霊的には価値観が真逆なことが多いという話でした。

やはり精神世界の分野もこの世界の様々なものと一体化して動いているわけだ。