臨死体験で暗い世界へ行くケース YouTube

前回は 臨死体験や死後の世界 輪廻転生を信じられなくても それはそれで構わないという話をした。

前回の記事 スピリチュアルと唯物主義

いわゆる、この現実世界しか無いと思っている唯物主義であっても、 それはそれで構わないという話。

なぜなら人にはそれぞれ 役割と言うか 学ぶべき ポイントが違うので、 仮に唯物主義者であっても そのことが 今の人生において 取り組むテーマでプラスに働くケースもあるという事だ。

しかし一点だけを除いて、気を付けた方がいいということで 前回の話しが終わった。

かもしれない思考

一点だけ 気をつける点というのは・・・

「 可能性を残しておく」

という思考法である。

可能性を残しておくというのは、 とりあえず輪廻転生も死後の世界も神も ないと思っていても構わないが・・・

「可能性としては、 もしかしたらあるかもしれない」

と言う「かもしれない思考」のことである。

かもしれない思考というのは 今、 適当に名付けたのだが、 例えばどういった事かを解説してみよう。

例えばあなたが 車を運転する時、 車でなくても自転車でもいいのだが、 家の車庫から道路に出るとき や、他の道路と合流する時に・・・

「 車が来るかもしれないから安全運転でいこう」

と言う 気持ちで運転すると事故の確率は減っていく。

普通に道を運転してみてもそうだ。

通学路の下校時間などを子供たちが騒ぎながら道を歩いてるがそう言った時に・・・

「 もしかしたら 子供が飛び出してくるかもしれない」

という意識で運転すれば仮に飛び出してきたとしても素早く対応できる。

死後の世界の可能性をかもしれない思考で残しておくということはこれと同じ。

「もしかしてあるかもしれない 」

と思う事で、 死んだのに 次のステージに行けないと言う 状態はクリアできる。

「死んだのに 次のステージに行けない とはどういうことですか?」

死んでも気づけない

という質問もあるかと思うので説明すると、 よく映画などで 事故に遭い様々な怪奇現象が起きて 最後の最後で・・・

「 自分はもう死んでいたんだ」

という夢オチならぬ死にオチともいうべき 映画がいくつかある。

例えばパッセンジャーズという映画。

他にはこの手の映画はちょくちょくあるが、一番のポイントとしては

「死んでも気付けない状態」

というテーマを扱ってると言っても過言ではない。

これは体外離脱や臨死体験した人がない 人はピンと来ないと思うが、 肉体から抜け出しても ほとんど変わらない自分がいることに気づく。

自分という意識も変わらないし服装も同じ。

なんなら周りの景色だって大差ない、 もしくは違っていても気づかない。

夢の中で自分が夢の中にいることがわからないように、 臨死体験や 体外離脱の時もよくわからないケースも多い。

実際、私も体外離脱の時に実際に離脱しているか、それとも寝ぼけているかよく分からないことが多かった。

話が若干逸れるが、 体外離脱しているのか寝ぼけているのか分からない時はその場で軽くジャンプする。

そうすると落下速度が通常の半分以下になってふわふわした感じで落下するので・・・

「ああ〜  今体外離脱をしているんだ」

と確信することが多い。

先ほどかもしれない思考が とても重要だという話をしたが、 ここで・・・

「死後の世界があるかもしれない」

という認識があると、 次のステージ に駒を進めることができる。

閉じ込められた世界

しかしそういった認識がないと、 延々と彷徨うか 結構悲惨な状況に長期間とどまるケースが多い。

イメージしやすい形で言うと例えばあなたが 悪夢を見たとしよう。

心臓がドキドキして 叫びだけしたくなるような 悪夢。

その状態が延々と続くと思うといいかもしれない。

これは別に脅して言ってるわけではないが、 臨死体験で比較的低レベルの幽界に行った人の体験談などにこのケースが書かれている。

例えばAmazonで本も出ているがハワード・ストームという人の体験もそう

 

最初はかなり酷い臨死体験

よく死んだらお花畑とか三途の川が出てくるという話があるが、 中にはこういった暗い世界に行ったり悲惨な状況になるケースもあるようだ。

まあ、ただ厳密に言えば 、この動画の人は そういった体験をして 神に目覚め、こういった本や YouTube を出すことによって「死後の世界や神は在りますよ」という啓蒙活動するミッションが最初からあったから、 あえてこのような体験をしたとも言える。

と言うことで、唯物主義で死後の世界や神の存在を信じないというのもありなのだが、可能性としてあるかもしれないということを残しておくことがとても重要になってくる。