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サタンの都に生まれてとキューピットの相棒

前回は魔というものについて解説した。

抜粋

だから、魔というと非常にマイナスのイメージだが、魂の修行としての場として地球の状態を私達に最適に保ってくれている親切な管理者と言えなくもない。

普通、魔というとオカルト映画に出てくるような恐いイメージがあるが、基本的にはもっと煌びやかで魅惑的なものだ。

前回のお話

瞑想を邪魔する魔の存在と不都合なミッキーマウス

このように魔は私達の人生というか日常において結構身近な存在と言える。

だから、本格的なスピリチュアルな道に入る場合は出家など行うわけだ。

227の戒律

例えばお釈迦様のメソッドの上座仏教にしても僧になると日経平均より多い227もの戒律があるという。

普通は戒律というのはヨガでもそうだが道徳的というか、盗まないとか非暴力とか理解しやすいのが多いが、227にもなってくると意外な禁止事項が出てくる。

私も僧侶じゃないので全部知らないが、変わった戒律では…

  • 金銭に触れない
  • 綿入りの寝具をもちいない
  • 土を掘らない
  • 歌を歌ってはいけない
  • 映画を観てはいけない

などなど。

接触禁止

だから日本の仏教のお坊さんなどは妻帯とかしてかなり自由だが、タイやミャンマーのお坊さんなどは結婚は無論、女性と二人で部屋に入るのも禁止だったと思う。

何か供物を受け取るときは万一肌が接触すると危険なので、一旦布に包んでもらって受け取るとかもあるらしい。

どんだけ異性が危険なんだという話になってくる。

睡眠時はベッドや布団に寝ないで長椅子や座ったままで寝る人までいる。

これは上座仏教だけでなく、ヨガやキリスト教などでも僧侶とか尼さんになると、一般的な生活スタイルとはかなり違ってくるというので同じだと思う。

サタン都市

なんで、このような世間と隔離されたような手法が取られるのか?

それはこの世界が魔的なもの、サタン的なものに満ちているからだという話になってくる。

それらを遠ざけるために戒律や様々な工夫がされていると言えよう。

これが魔的なものはオカルト映画に出てくるような怖いというイメージよりも煌びやかで魅惑的だという意味になってくる。

なぜなら、戒律で遠ざけるものはそのような誘惑系が多いからだ。

いったら私達の生活、特に素朴な田舎より都市部はサタンの都と言えなくもない。

魅惑的な刺激が多すぎる。

あと、これも良く言われる話だが神と悪魔は一緒に働く。

キューピットの相棒

この辺の話をすると誤解や反発を招く恐れがあるので、あんまり言いたくはないが密教的な教え、タントリックな深い教えではそういう話になってくる。

「リアルさん、神と悪魔は違うでしょ!」

と思うかもしれないが、この地上界ではそういう場面は多い。

例えば恋愛。

キューピットっているが、あれは実は天使ではないく愛の神と言われている。

厳密に言えば神というより神々だが、そのキューピットが矢を要ると恋に落ちたり愛が芽生えたりするわけだ。

しかし、そのキューピットの横にサタンがいて…

  • 嫉妬
  • 性欲
  • 独占欲

などをセットで送りつけるという話になってくる。

だから私達も経験があると思うが、恋愛というのはいい感じにハートが満たされるだけでなく、混乱や軋轢とセットの場合がよくある。

このように実は私たちは魔的とされているものとある意味一体化して存在しているわけだ。

生物としては普通

ちなみに生物としてみれば嫉妬や独占欲があるのも決して悪いわけではない。

でないと自分の子孫を残せないからだ。

まあ、強すぎるのも程度問題だが、普通に様々な欲があるのは普通だとも言える。

じゃーそのままでいいかというと、そのままでは高い次元の波動というか世界には行けないという話にもなってくる。

嫉妬が無い世界

高い世界というのはどういう感じかというと、例えば自分の奥さんなり旦那さんが浮気しても…

「あの人が幸せなら私も幸せ」

みたいな感じで嫉妬や怒りが湧かないらしい。

逆に言えばそれくらいでないと、波動の世界、いわゆる高級霊界だと嫉妬に狂った瞬間にそういった世界に落ちてしまうという話になってくる。

というように、結構難易度は高い。

このような話をすると…

「全然絶望的ですわ」

みたいな話になるかと思う。

しかし、そこまで絶望する必要は無い。

続く…