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スピリチュアルに対する思いと違和感

スピリチュアルという言葉に対して違和感を感じるようになったのはいつからだろうか。

自分でこういった仕事をしているのに、このような言い方は若干変に思われるかもしれないが、ここ数年・・・

「スピリチュアル分野」

はかなりのブームらしい。

そもそも、私が瞑想を始めた頃はこのような言葉は無かった。

いや、無かった訳では無いだろうが、今のようなカテゴリ分けとしてはやっていなかった。

以前、聞かれた事があるが・・・

「なぜ瞑想やスピリチュアルな事をやろうと思ったのですか?」

と質問をされた事がある。

インドに行った時の事だった。

私は・・・

「中学生の頃から体外離脱が始まって、今生きてたいる世界以外の何かがあるのを知りたくて」

と答えた。

確か中学1年生の頃だったと思うが、夜寝ていたらいきなり体外離脱が始まった。

あの時は本当にビックリだった。

夢にしては現実感がハンパなかったし、何が起こったのかわからなかった。

しかし、特殊な体験ではあったが慣れというのは恐ろしい。

しばらくすると、ちょと変わった体験だけれども普通になった。

とは言え・・・

「今の現実世界以外にも世界があるとすると、実際のところどうなんだろう?」

「私という存在は肉体が滅んでも存在するんだ(可能性が高い)」

「では何の為にこの物質世界があるのだろう?」

「何を基準に生きていけばいいのだろう」

「人間より高い次元の(低い次元)の意識や存在はあるんだろうな(実勢に色々遭遇するし)」

「では神もいるのだろうか?」

みたいに感じたり考えるのは自然な成り行きだった。

当時はネットもなく、情報交換出来る仲間もなく、本しかなかった。

今は少し大きな本屋にいけば・・・・

「精神世界」

「スピリチュアル」

という棚があり、読みきれない程の本がある。

しかし、当時、1970年代後半は・・・

「エドガードケーシ」

とか

「沖ヨガ」

「藤本憲幸」

ヨーガ根本教典
(佐保田氏)

などのヨガ本とか

桐山 靖雄や本山ヨガ

などの新興宗教チックな本しかなかった。

あとはシルバマインドコントロールとか、気功の本とか。

懐かしい。

リードビーターのチャクラ本をワクワクして読んだ日々。

何が言いたいかといえば、かなりマイナーな分野だったという事だ。

そういったマイナーな本を求めて地元や周辺の駅の本屋を何件もハシゴした記憶がある。

まだ10代になったばかりなのに死後の世界に興味がある中学生など気持ち悪いというか・・・

「もうちょっと何か他にする事があるだろう」

と思うのが普通の感覚だと思う。

ただ、本人としては無限の地平線が開けた気がして、まるで探検家になった気分だった。

だから精神世界というのは私の中のニュアンスとして、ある種の聖域とも言える。

しかし、時は流れてオーラの泉の頃からだろうか。

スピリチュアルという単語を色々なところで目にし始める。

少し大きな本屋にいけば「スピリチャル」の棚があり立ち読みでも読みきれない程。

今に至っては何というか・・・

「スピリチャル業界は儲かりますから参入しましょう」

みたいな輩が沢山いるし、事実、このような言葉を実際に何度か耳にした。

「儲かるから参入しましょう?」

違和感である。

「業界?」

なんじゃそれって感じ。

自己啓発分野が更に怪しくなった感じのオーラを放っている。

こんな感じではなかった。

まあ、ただ全ての現象が神の意図によってなされているのであれば、このようなブーム。

まるでスーパーの棚で特売品でも売るように「スピリチュアル」が並んでいる時代も神の意図によってなされているとも言える。

だから、私が文句を言う筋合いでも無いわけだが、違和感を感じるのもまた事実。

自分としては多少地味でもいいので「本物」を提供出来るようにと思う今日この頃。