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ハートの瞑想の詩

今日はプログラムの参加者さんとZOOMでセッションをしていた。

そこでハートの話になった。

愛ともいうし、神へ意識を向けるともいう。

ヴィパッサナー瞑想でいうところの慈悲。

それがとにかく重要だという話。

私も昔そうだったが、一般的にはテクニックを重要視する。

どのような理論体系で

どのようなテクニックで

どれだけ深く

あるいは高く

瞑想状態に入れて

意識を研ぎ澄ますことができるか

そういったことを重要視しがちだ。

特に男性はこの傾向が強い。

しかし、実はこれは片手落ち。

理論やテクニックは片方の翼に相当する

鳥は両方の翼がなければ飛べないように

もう一方の翼

つまり…

慈悲

聖なるものへの信頼

がなければ飛翔することは出来ない

なぜなら、テクニック重視は結局のところ

自分へのフォーカスしか生まない

自分の瞑想をもっと深く

自分の境地をもっと上げて

自分の波動をもっと高く

自分のエネルギーをもっと清らかに

自分のカルマの徳を積んで

など、どこまでいっても自分 自分 自分

しかし、実を言うと

この自分という殻が破れた時

逆説的にではあるが、自分の事などどうでもよくなった時に

状態は一気に変わる

あれほど切望していた境地は

実はこの自分というものがブロックしていたことに気づく

その時、あの言葉には出来ない至福がやってくる

目には見えないが、今までも自分を導いてきた意図があると感じるようになる

であるから、最初の段階で自分を超えるプラクティスとして

自分を偉大なもの

聖なるものに捧げる

神に意識を向ける

煩雑な仕事中や日常生活では難しくとも

瞑想や祈りの時間はそういった気持ちが最重要になってくる