今回のテーマはエネルギーを感じ取ると言う事について取り上げてみた。
なぜこのようなワークをするかと言うと自分の身体性や思考、感情を越えていくために有益なワークだからだ。
よくアドヴィタの教えでいわれるが、…
「私たちの問題はあまりにもこの体に拘束されすぎたゆえに起こる」
と言われる。
厳密に言えば「私の〇〇」と言う思考の粘着性というか、自己保存欲求に基づいた本能に原因がある。
これはどういったことかというと、例えば買い物に行った時に軽い事故を目撃したとする。
駐車場に並んでいる車に他の車がゴツンとぶつかったわけだ。
それによってリアのバンパーが凹んでいる。
「あーぶつけちゃったね」
と言うふうにあなたは思うだろう。
しかし、そのぶつけられた車が実は自分の車だったらどうだろうか?
「なんてことをしてくれたんだ!!!」
と思うだろう。
人の車だったら事故に遭っているのを見てもほとんど気にならないが、これが自分の車だったら全く話は違ってくるわけだ。
「私の車」
というのがポイントだ。
「リアルさん何を当たり前のこと言ってるんですか、自分の車だったらショックに決まってるでしょ」
と思うかもしれない。
確かにそうだ。
問題はこの「私の〇〇」と言うことが洗えるものについて粘着しているわけだ。
私の車
私の家
私の学校
私の会社
私の部署
私のプロジェクト
私の家族
私の子供
それだけではない。
私の考え
私の願い
私の思い
などの「私は〇〇であるべきだと思う」
など思考や信念パターンと一体化している。
この一体化してるが故に。
その一体化の度合いによって苦しみや悩みが発生する。
その大元となるのがこの体なわけだ。
よく言う話ではあるが、今のあなたの生活や世界がまるで映画を見るように感じられたらもっと違ったものになるだろうと思った事は無いだろうか?
なぜ映画が楽しめるかと言うと一定の距離があるからだ。
これは当たり前だと思うだろうが、映画館で観客として見てるから楽しめるのであって、映画が作り物ではなくリアルな現実だと勘違いしていたらとんでもないことになるだろう。
「今見ているのは映画だ」
と言うように目の前の映像と自分自身に距離
があるから楽しめるわけだ。
その距離を作り出すのが今回動画で解説してるようなワークである。
気の感覚を入り口として自分の体に外に広がっているエネルギーを感じる。
意識体を感じる。
この身体以外の「私」を感じる。
それによって今現在感じている「私」の感覚。
その変容を目指すというか、きっかけを作っていく作業とも言える。