前回はTMシディテクニックを長期間続けるとどうなるかという話だった。
また・・・
「リアルさん、他の瞑想やワークでAの覚醒意識・インパクトは出せないの?」
という質問もあるだろう。
答えとしては・・・
「出せます」
という話になる。
次にその方法を見ていこう。
という話だった。
今日はその続きから。
ルートは色々
ちなみに、今回の覚醒・悟りシリーズは私の体験談や考え方に基づいてシェアしている。
「私の場合はこれをチョイスして、こうなったのでこう捉えている」
という話。
だから、これこそ唯一絶対。
みたいな話では無い。
よく言う例えだが、悟り・覚醒を山の頂上だとすると登り方のルートは色々あるわけだ。
そのルートの一つとして解説している。
その前提を踏まえた上で話の続き。
Aの覚醒意識の強さ・インパクトを与える瞑想法や修行法はTMシディの他にもあると言う話だった。
ちなみに、こう言う質問もあるかもしれない。
「リアルさん、TMのマントラだけじゃダメなんですか?」
結論から言えばマントラだけでも効果はある。
しかし、純粋意識の大波にさらわれるようなあの感覚。
あの密度の体験と浸透力はマントラだけでは難しいと個人的には思う。
話を戻すとTMシディ以外の方法だと、限りなく気づきの力をアップする方法がある。
ヴィパッサナー瞑想もそのメソッドの一つだ。
ヴィパッサナー瞑想の話に入る前に・・・・
「●●ってカルトなんですか?」
とか・・・
「●●をどう思います?」
みたいな質問もあるので簡単に私なりの考えを述べてみよう。
人間だものと理想郷
まず、前提として私達人間やそれが集合したグループ・団体がやっている事に完璧というものは無い。
その人に合う・合わないは当然あるとして・・・
「これは素晴らしい」
と思ったグル・先生・教師・団体があったとしても所詮は人間なわけだ。
そもそも他人なので自分の思い通りには必ずしもならないし、それなりの個性や欠点というのはどうしても出てきてしまう。
だから安易にある種の・・・
「理想郷」
は求めないことだ。
それは自分の内側で養うべきものであって、他に依存した関係で成り立つものでは無い。
もちろん、明らかにヤバい教えとかグループみたのも存在する事は確かだ。
しかし、それは何もこのようなスピリチュアルな分野だけでなく、一般的な会社や団体・集団に普通にある話。
そこの見分け方やセンスはその人のカルマ次第といったら極論になってしまうが、とにかく他がどうこうより自分がどうなんだというのがどこへ行っても基準になる。
一例をあげてみよう。
成功率2%
前にも少しお話したが継続する意志について。
瞑想やスピリチュアル分野だと分かりにくいと思うので、今風に言えばSNSについて。
SNS、ブログやツイッター、YouTubeなどで情報発信する人が増えてきた。
あなたも、もしかしたらSNSで記事を書いたり、ツイッターで呟いたりインスタで写真をアップしたことがあるかもしれない。
これを気晴らしというか趣味でやっている分にはいいが・・・
「SNSを仕事にしたい!」
と思って上手くいく人の確率って知っているだろうか?
2%だ。
100人が始めて2人しか上手くいかない。
この2%は実は違う表現で言えば・・・
「継続率」
だ、つまり100人が始めても2人しか続けてやらないという実態がある。
継続と阻害するもの
逆に言えばだ。
何らかの形で継続出来ていれば上手くいく。
もっとも、その人の才能やリソースによってその成功度合いは違ってくが、続けていさえすれば小さいながらも上手くいくわけだ。
ではなぜ継続出来ないのか?
色々な要因はあるが2つだけ挙げてみる。
・慣性
・エゴ
この2つだ
慣性というのは物理的な法則して・・・
止まっているものは止まり続け、動いているものは動き続ける
という性質がある。
例えば部屋を片ずける時に重たい机を動かす時に一番最初に一番力がいる。
一旦、動き始めてしまえば最初ほど力はいらない。
自転車も最初はペタルを踏んで走り始めなければならないが、スピードが出てくると後はこがなくてもある程度は自動で進んでいく。
この慣性の法則はこのような物理的なものだけでなく、何かをやろうとする際にも働く。
今のSNSの例で言えば、ブログにしろYouTubeにしろ全然アクセスが伸びない。
成功のカラクリ図
下の図を見て欲しい。
最初は赤の曲線のように期待値が高くて興味があるしやる気もある。
しかし、青の曲線で表される実際の結果は地を這うような感じてどこかで期待値に追いつかない。
やがては実際の結果がブレイクポイントを迎えて結果が出るのだが、期待値とのギャップがあり非常に疲れる。
プレッシャーを感じる。
この結果が出るまでの期間が耐えきれず98%は辞めていく。
逆に言えば継続しさえすれば、このブレイクポイントは超えられるのだが、そこまで持たない。
今はSNSの例を出しているが、真剣に何かをやろうと思うとどのような分野でも大体同じような2つの曲線になる。
スポーツでも
仕事でも
何かの習い事でも
勉強や学習でも
暇つぶしで適当にやっている場合は違うかもしれないが、真剣にやっていると大体このような過程をたどる。
エゴの存在
次に2番目の要因としてエゴの存在がある。
このエゴの存在というか働きもモロに慣性の法則を受ける。
これはどういう事かというと、スポーツを例にして解説してみよう。
サッカーにしようか。
あなたはサッカーが好きでサッカー部に入った。
シュートするのが大好きだとしよう。
ゴールに向かってシュートの練習ばっかりやっている。
その時、監督が・・・
「おい、走りこみが一番だ大事だ」
「走破力を身につける為にランニングしろ!」
と言われても・・・
「いや、俺は走るの嫌いだし、シュートだけやっていたい」
みたいに思って監督のいう事を聞かないと、当然の事なが選手として育たない。
このような個人の癖と思い込みが上達の邪魔をすることってあると思う。
これが先の慣性の法則と相まって、なかなか現象面の変化は訪れない。
このように・・・
「大体のものは他人や方法がどうこうより自分の捉え方や取り組み方が問題」
ということで、例として意志の持続が大事とか継続が大事とかエゴとかの話になった。
本当はあまりこういう事をいうと、決して耳に心地よい話では無いので嫌われるし言わない。
もっと・・・
「そのままでいいですよ」
とか、
「簡単に●●すれば引き寄せの法則が」
とか耳障りの良いことを言っていればいいのだが、やはり多少なりとも縁があってこの文章を読んでくれたり、動画を観て頂いているわけだから本音の部分。
それによって、一時的には心地良くなくても中長期的に少しでも良い影響があればと思ってこの文章を書いている。
想い続けていれば
話を戻すと、もしあなたに継続する意志があって自分に向いているものを素直に選択した場合、それがどのようなものであっても覚醒への糸口にはなり得る。
話の導入としてはTMシディの話を若干したが、別にそれでなくとも構わない。
今、何をやっていいいかわからない場合でも
瞑想をしていられないほど日常生活がテンパっていても
何か挫折て苦い経験だらけでも
求めていさえすれば、神様は見捨てたりしない。
神という言葉に抵抗があるのなら、あなたを生み出した人間には想像も出来ないような知性といってもいいし、覚醒意識・純粋意識といってもいい。
前置きというか、前提としての話が長くなったが次に気づきを強化する方法についてシェアしてみよう。
気づきについては「見る(観る)」という事が非常に重要だという話はした。
・見るという事は実は見る行為によって私を成り立たせている
・見ている私を観る
ということも一部ではあるが図を使って解説した。
それについて更に詳しくシェアしてみよう。
続く・・・