瞑想は入るのではなくやって来る
瞑想とは入るものではなくて…
「やって来るもの」
という話を以前した。
私も昔は瞑想とは入るものだと思っていた。
これは言葉の微妙なニュアンスだが、入ると来るでは結構違う。
入るという言葉だと…
「部屋に入る」
という風に使うように…
私が能動的に何かをして状態を変える
というイメージになると思う。
入るは能動
瞑想の時も「瞑想に入る」という言葉を使うと…
「自分が瞑想をして瞑想状態に入る」
というようなニュアンスになる。
まあ、これはこの物質世界の一般的な法則に慣れた私達にとって致し方ない考えの癖とも言える。
自分が何かして違う状態になると言うのは…
- 私が歯ブラシを持って歯を磨く
- 私がコップを持って水を飲む
- 私がスマホを持ってアプリを開く
- 私が車に乗って目的地へ行く
- 私が相手に話しかける
など私が何かすることによって状態を変えると言うのは、ごくごく日常的な動作というか習慣である。
しかし、瞑想においては話が違ってくる。
瞑想はこじ開けられない
瞑想に入るという言葉を乱暴にいうと…
私が扉をこじ開けて瞑想状態に無理やり入る
というようなニュアンスになってしまう。
ここで猫の登場である。
瞑想と猫
猫は犬と違い気まぐれである。
「おいで!」
と言ってもこない場合がある。
もし、あなたが飼い主で餌の時間だったら来るかも知れないが、他人だったらまず来ない。
よく、親戚の動物好きな子供が家に来て…
「キャー 猫ちゃんだ!」
と走りながらギュッとしようとするが、ほぼほぼ逃走する。
なぜなら、力づくで猫を触ろうとするからだ。
瞑想もこれに似ている。
瞑想技法は仕込み
確かに技法としての瞑想は誰でも出来るだろう。
マントラや呼吸への集中、また気づきのテクニックなど技法としては行うことが出来る。
しかし、これらは言ったら瞑想状態がやってくる「仕込み」に相当する。
瞑想技法をやったからといって、必ずしも瞑想状態になるとは限らないわけだ。
そーと静かに待つ
瞑想状態がやってくる為には
猫を手懐けるように
そーと
静かに
注意深く
繊細な注意力を持って
猫が居心地がいいようにセットアップしなければならない
そうしないと、瞑想という名の猫はやってこないし
ゴロゴロと喉を鳴らして目を閉じることは無いだろう。
簡単に言ってしまえば
待つ必要性があるわけだ。
あなたが、どのような瞑想技法をやるにせよ
それをしつつ
待つ
静かに
繊細な注意力を持って
その時に、それはそのタイミングでやって来る。
ある時突然
最初はなかなか難しいかも知れない。
最初は思わぬタイミングでやってきたり
例えば家で座って瞑想しても瞑想状態にならないのに
電車の中で目を閉じている時になったり
音楽を聞いている時
あるいはバーベキューの喧騒から離れて一人夕日を眺めている時
などの油断した時に瞑想状態はやって来るかも知れない
私も20代の頃だが、海へ海水浴に行った時に家で瞑想するより深く長く入ったことがあった。
あの時はその仕組みがわからなかったが、とにかくそういうことだ。
ある程度、コツを掴むと猫が慣れてほぼほぼ来るように
瞑想状態が頻繁にやって来るようになるだろう。