前回は魔が入ってくるオラオラタイプの説明だった。
前回の話
魔が入る時 オラオラタイプ
今日はその続きでオラオラをもう少し解説。
ではオラオラの場合、特にスピリチュアル分野はどうやって魔が入るのか?
権威をバックに
一番軽いのは権威的なものが多い。
例えば仏教にしろヨガにしろ、その昔から続く権威というのもがある。
虎の威を仮りる狐
という言葉があるようにその権威を必要以上にアピールして自分の正当性を主張したりする。
例えば高校で不良で退学になり、町でたむろしているヤンキーのお兄ちゃんがいたとする。
代紋をバックに
これはこれで厄介だが、まあ、言ったら普通のヤンキーなわけだ。
別にどうということもない。
しかし、もしこのヤンキーのお兄ちゃんが暴力団から盃をもらったら話は違ってくる。
暴力団の権威によって、このお兄ちゃんは今までにないパワーを手に入れるわけだ。
だから、仲間から喧嘩の仲裁を頼まれても顔を出すだけで解決出来たりする。
まあ、その代わり反作用や柵も多いだろうがとにかくパワーアップする。
強みの裏に魔が入る
仏教やヨガなどの場合も同じ。
その絶対性と一体化する事によって、別にその団体に所属していなくてもなんとなく箔が付く。
そこに魔が入る、例えば…
- 俺って頭いいんだぜ
- お前らの知らないことを知っているんだぜ
- これを知らない一般人は所詮ゴミ
- ◯◯はこれを全然わかってないから低レベル
- 知っている俺様は徳があるし選ばれし者だから
などと性格が悪くなる場合がある。
まあ、ここまで露骨に口には出さないが内面ではそう思っている。
こんなになるんだったら、いっそ教えに縁がなかった方がよかったのにね、みたいになるケースもしばしば。
最も元からそういう傾向があるから、こういった一種の権威性というものに触れた途端、そのエゴの要素が刺激されたとも言える。
ちなみに、これはスピリチュアルの分野だけでなく、他の分野でも同じように権威は作用する。
いと低き者へ
本当のパワーというか智は自分がいと低き者であることが腑に落ちた時に訪れるものであって、これでは真逆になってしまう。
このように魔はその人の一見強みだと思っている裏側から忍び寄る。
次に実際にある種のパワーがついているタイプのオラオラタイプ。
スピ・オラオラ
生まれつきの場合もあるが、上手く瞑想修行が進むとある種のパワーがついてくる。
- 異常な集中力
- 直感の発露
- 思いの実現が強力になる
- 人に対する影響力が強くなる
- 透視やその他のサイキックが発露
などなど。
これは別に悪い事ではない。
ただ、先ほど魔はその人の強みの裏側から忍び寄るということを言ったが、強みが出てくるわけだから、気をつけなければいけないわけだ。
3大トラップと匙加減
では何に気をつけるかというと一番多いのは…
- お金
- 異性
- 権威性
の3つ。
この3つがシンプルなようでさじ加減が凄く難しい。
そもそもこの3つはこの世界を構築するベースとなるものなので、これを完全に排除したら生きていけない。
それは出家という選択をした僧侶にも当てはまる。
お寺や僧侶を維持する為にお布施を集めなければいけないし、権威性とは切っても切れない関係性なので、そこの部分だけで言えば一般人の我々よりマーヤは深いという言ってもいい。
これを解説しようとすると本一冊でも足りないぐらいなので、ここでは深く解説しないが少しだけシェアしてみよう。
いや、やっぱり他の団体や人様の話をネットでするのは私の戒律に反するので辞めにしよう。
直接会ってお話する機会があったらするかもしれない。
兎に角、強みが出れば強いだけその裏に魔が忍び込み、元のまっさらな状態に戻そうという均衡が働くのがこの世界だという話。
では一体どうしたらいいのだろうか?
気づいて慣れる
これは出家しないでこの世界で生きていく限り、魔にやられながら進むしかない。
なぜなら、全部排除するには無理があるからだ。
魔の誘惑が囁きかけて心が動かされても、今までお話したような構造が頭だけでもいいからわかっていれば、徐々に慣れてくる。
「ああ、これか」
と。
そうやって見切るだけで普通は一旦遠ざかる。
また、その人のカルマのタイミングによっては実際にハマってしまったりクラッシュしたりすることもあるかもしれない。
しかし、永遠というスパンから見れば挽回不能な失敗はないので、それを学びとして進んでいくしかない。
なぜなら、この世界で生まれてきた意味の一部は、魔を含めた要素も対応していこうというカリキュラムとして含まれているケースがあるからだ。