今回の動画では自分でやりたい事はあるんだけれども、実際にやろうとするとプレッシャーがかかってできなくなると言う事について。
詳しくは動画で解説したが、ブログでも補足解説をすると、結論から言えば…
瞑想テクニックはある程度有効だが限界がある
と言うことが言える。
こういったスピリチュアル全般において昔も今も…、
「〇〇をしとけば大丈夫」
と言う風潮がある。
例えばYouTube等でも
「この動画を見ればあなたの願いが叶う」
「動画を見るだけでアセンションする」
みたいなものが結構ある。
これは本でも一緒で何やら不思議な瞑想や量子力学的な最新の技法を使えば全ての願いが叶うみたいなニュアンスのものは多い。
もっともこれは現代に限らず昔からある。
この神社に行けば大丈夫
このマントラを唱えれば大丈夫
〇〇神様にお願いすれば大丈夫
気づきを保っていれば大丈夫
などなど。
インドで人気があるシルディサイババも私たち一般人の願いを叶えてくれると言うことで人気があるわけだ。
まぁこれはある意味致し方ない面もあると思う。
私たち一般人にとって、神聖なものを目指そうとする動機が自分の願いだったり、苦しみや病気の克服だったりする事はある意味致し方ない。
また、それなりに相性が合えば一定の効果が出るものもあり一概に否定ができない。
そういったことも踏まえての話しにはなるが、では本当にこれらの事は効果があるのだろうか。
結論から言ってしまえば、どんな高度な瞑想法や秘儀をしても、どんなパワースポットに行っても、最終的には大いなる意思がオーケーを出さないと自分が思った通りにはいかないだろう。
大いなる意思と言うのは私たちをこの世界に生み出した根本的な力の源であり知恵である。
まぁ言葉で言ってしまえば「神」と言う話になってくるのだが、一般的に私たちが信仰するような神々ではなく、もっと大きな根源的なものである。
ギターやサーンキャ哲学でいうところの神(パラアートマ)の概念とも言うべきものだ。
それにプラスして私たちのカルマと言うものがある。
カルマ的なものによってやはりいろいろな時期と言うものがある。
例えばカルマ解消の時や下積みの時期みたいなものがあり、こういった時期はなかなか日の目を見ないというか、自分の思い通りにいかないことが多い。
しかも、その時期は思ったより長いケースがある。
5〜10年単位でかかることがざらにある。
また、ここは重要なポイントだが、ある意味私達の目的というか、本当の満足は自分の願望達成や経済・社会的な成功とは余り関係が無い。
そういった外面的な物よりも、あくまで内面的なものが大きなウェイトを占めている。
この辺は結構複雑なメカニズムなので今回は省略するが、とにかくこの辺が完全で無くともある程度クリアになってくると….
「ああ、なるほどね」
となってくる。