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神と悪魔と大統領選挙

今日のテーマは「神と悪魔と大統領選挙」

以前、ダウジングで大統領選挙を占ったので・・・

「あれからどうなっているのかな?」

とたまにYouTubeなどで大統領選挙の話題を扱っている動画を観る。

そこで、不思議な事に気がついた。

トランプは神が・・・

何に気づいたかというと、コメント欄のある文字。

大統領選挙の話題を扱っているYouTuberの人は、ほぼ・・・・

「トランプが再選します」

という内容を展開している。

「バイデンが大統領になりました」

というのはニュースチャンネル以外は見たことがない。

でだ、「トランプが再選します」という動画のコメント欄を見ると・・・・

「あれ?こんなにトランプは人気あったんだ」

と思うほど熱狂的。

まあ、それはいいとして気になる文字が。

「トランプは神に選ばれた」

というコメントが数多く出てくる。

これは同じ人が言っているのでなくて、色々なところで複数目に入った。

「いやいや、いくらトランプ支持でもそこまで言うかな」

と思っていた。

しかし、この「トランプは神に選ばれた」と言うのは実はそれなりの根拠があるらしい。

予言と神と悪魔

根拠というのは予言である。

ここでは予言の詳細は書かないので、興味がある人は検索してもらうと複数出てくる。

大体がキリスト教の宣教師や牧師さんが多い。

「トランプは神の使者である」

と言う予言が多い。

中には数十年前からトランプという名前を救世主として上げているケースも。

さて、ここからが問題。

大体の予言の内容として・・・・

・神と悪魔の戦い

というニュアンスで話されている。

当然の事ながら・・・

神=善

悪魔=悪

という図式。

そこに今回の大統領選挙で言えば・・・

トランプ=神の使者=善

バイデン=中共の手先=悪

という図式。

でだ、根本的な問題として・・・・

・神と悪魔の戦い

という概念がある。

考えて欲しいのだが、

神 VS 悪魔

というのはある意味せめぎ合っているという事を示唆する。

例えるなら、

巨人 VS 阪神

とか・・・

井上尚弥 VS ドネア

など、AとBがいて拮抗しているというニュアンス。

しかしだ。

絶対性

「神が神たる所以として絶対的なものであるならば、悪魔と拮抗している程度のものは神と呼べるのか?」

という話になってくる。

つまり同じ階層で競り合っていては神という絶対的なものとは言えない。

先ほどの・・

巨人 VS 阪神

だったら、神の位置としては・・・

・球場

もしくは・・・

・野球というルールやゲーム

というように、もっとメタ的に上位の存在として君臨していなければならない。

つまり「〇〇VS〇〇」という二元的な相対を超えた次元にあるわけだ。

ハリウッド映画などなら絶対的な正義と悪が戦うというのは良くある話。

しかし、現実はそう簡単では無い。

ミルフィーユ構造

何が言いたいのかというと、一見明らかに「善」や「悪」に見えても、それらが複雑に絡み合って進化、発展していくという現象が通常だ。

例えば私達が日々接しているインターネット。

これだって、諸説あるが当初は軍事目的で開発、使用された経緯がある。

後にアダルト目的で拡散して現在に至るみたいな。

インターネットは大学の相互情報処理で発明という話もあるが、それにしも善悪で判別するなら・・・

善ー悪ー悪ー善ー悪ー善

のように多層になっているはず。

ケーキでミルフィーユっていうのがあるが、あんな感じでクリームと生地が折り重なってケーキとしてあるように、善悪も折り重なって存在して「現実」となっている。

今、思い出したが小学校5年の時に授業でダイナマイトや毒物の話題になった。

私は素朴な疑問として・・・

「なぜ毒物やダイナマイトのように、人を殺すものは簡単に作れるし沢山あるのに、人を一発で治す薬や生き返らせるものは存在しないんですか?」

と先生に聞いたら・・・・

「ダイナマイトは人を殺す道具として作られたわけではありません!!!」

とえらい剣幕で怒られた記憶がある。

まあ、反論はしなかったが発明した時点ではそうかもしれないが、それを戦争で兵器として転用した時点で人類の崇高性という意味ではダメだろうとは思った。

話が逸れたが、インターネットの例だけでなく、ずーと善だったりずーと悪っていうのは実は少ない。

好き=嫌い

そもそもの話、この相対する世界では善が生まれたら必然的に悪が生まれる構造になっている。

例えば、学校で・・・

「このクラスで誰が一番可愛い(イケメン)かな?」

という話題は誰しもしたり思ったりしたことはあると思う。

「俺はすずちゃんが可愛と思うべ」

と言った瞬間、クラスで女子が20人いるとしたら・・・

・すずちゃん=可愛い

・それ以外の19人=可愛く無い

という二元化が自動的に発動する。

一人を可愛いとした時点で自動的にその他は可愛く無いという話になってくるわけだ。

これは極論かもしれないが、構造的にはこのような仕組みで全てにおいて作用する。

善と悪もそう。

別にテロリストを庇護するつもりは無いが、アメリカのドローンの空爆で幸せに暮らしていた街を爆撃されて家族を失ったら、それに対して何かアクションしたいと思うのは悪か?

という話になってくる。

良くなっている?

このように、この相対する世界ではポジション(立場、人種、国、宗教、信念体系)によって、同じ現象でもいかようにも変わってしまう。

つまり・・・・

・神を絶対的な性質とするならば、相対性を超えた次元にありつつ、全てにおいて作用している。

・この相対する世界では必然的に二元性(善悪、陰陽、プラスマイナス)が現れる構造になっている。

・それらはある意味、全て神の範囲内で行われている。

という話なわけだ。

例え悪と思われる存在が現れても、物語は善悪双方の登場人物が必要な様に、なんらかの意図があってその歯車として神が采配したとみるのがタントラ的な解釈。

タントラ的とも言うし、グノーシス的とも言う。

何が言いたいかというと、長いスパンで人類の歴史や文明を追っていくと色々な意見はあると思うが・・・

「良くなっている」

ということが言える。

例えば国内で言えば、ほんの約150年前までは日本人同士でドンパチ(西南戦争)やっていたわけだ。

今だったら、そんな事しないで選挙でカタがついている。

だから「落選しちゃったね」で終わるが、昔だったら腹切だったわけだ。

これだって、一見平和な江戸時代が動乱によって争いが起こり、何度かの戦争を経て結果、今の日本になったと言える。

平和ー混乱ー平和ー混乱

シンプルにしすぎたかもしれないが、このようなリズム。

でだ。

今はアメリカ大統領選挙やその他にも様々な混乱がある。

コロナもそうだし、問題は山積みに見えなくもない。

しかしである。

例え今回の大統領選挙で中共の影響によって民主主義が変質したように見えても、後になってみれば・・・

「ああ、なるほど、こっちの方がいいかも」

という社会になる可能性は高い。

善ー悪ー善ー悪ー善

とリズムを刻みながら、なんだかんだ言ってスパイラル的には良くなっている傾向があるからだ。

正ー反ー合

とも言う。

持続可能

おそらく2050年くらいまでには今でいうSDGs。

「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」

という流れが一つの形となり、今ある様々な問題は一通りの解決をみるだろう。

それまでは様々な(政治、経済、テクノロジー、社会的な意識)も含めて、善悪入り乱れた現象も多発すると思われるが、これも今までお話したような構造上、ある程度仕方が無い流れとも言える。

であるから、私たちは起きる現象に対して、敵対心や怒りや絶望に向かうのではなく・・・

「なるほど、こうなっているのか」

と一歩俯瞰して、人類の興亡の歴史の目撃者だと思って生きてみるのはどうだろうか。

なんだか壮大な話になってしまったが、今日はこの辺で。