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神はH2O

今日は前回の続きで・・・

「itの神様ってなんですか?」

「日本の神様(神社とかの)とitって同じなんですか?

という質問を頂いたので回答していきます。

この木なんの木

it=それ

という意味ですが、では「それ」って何?

という話になると思います。

私は小学生の頃、疑問に思ったことがありました。

以前、日曜日の夜にテレビ番組で・・・

「素晴らし世界旅行」

というのをやっていたんですよ。

確か日立グループがスポンサーで、有名なCMで

「この木なんの木、気になる木
見たこともない木ですから」

という歌が流れていたので、憶えている人も
いるんじゃないかと思います。

木=ki 気=ki
で韻を踏んでいるのでラップっぽいので
耳に残っているんでしょうね。

その番組でアフリカやアマゾンとか色々
な国に番組が行くのですが、だいたいど
こにも・・・

「神様」

がいて、現地の人は祈っているわけです。

文明化されたところは無論、アフリカで
どう見ても電気も水道も無いような村で
も神様に対して・・・

・祈っていたり
・祭りをしたり
・踊っていたり

しています。

なぜ世界中に

それを見て・・・・

「なぜ世界共通で神様というものが
崇められているのだろう?」

「日本の神様と西洋の神様と
アフリカやアマゾンの神様って
同じなのかな?」

と疑問を持ちました。

だっておかしいじゃないですか?

例えば実態があるもの。

共通認識出来るものだったら・・・

「カップ麺って美味しいね」

とか言ってアフリカの人が欲し
がるのもわかります。

しかし、実態が無いというか確認
出来ないものを大事なものとして
扱っている。

「どうしてそうなるの?」

「どっかから共通で伝わったの?」

みたいに子供ながら思うわけですよ。

あなたはどう思います?

なんで確認出来ないものを昔も今も
世界中で共通認識としているのか?

日本の神様と外国の神様は同じなのか?

神はH20

これは私の回答を言ってしまうと・・・

「水」

です。

水、化学式ではH20じゃないですか。

無色透明な水が神とします。

それが時代や文化によって、様々な概念
や呼び名がつくわけです。

日本だったらお茶
西洋だったら紅茶
中国だったら烏龍茶
ブラジルではコーヒー
インドだったらチャイ

みたいな。

それぞれ味も違うし特徴も違います
が、元は水に色と味がついたもの。

主成分というか元はH2O

みたいなイメージです。

だから、本質的には飲むと水分補給
出来るという意味では同じ。

ですが、味や色や香りは違ってくる。

それに似ています。

だから、抹茶というと抹茶という
意味限定になりコーヒーでも紅茶
でも無くなります。

でも水としてみると、水分なわけ
です。

水分としてみると、抹茶も紅茶も
同じ。

itもそれと同じです。

it(それ)という言葉を使ってあえて
特定していない。

H2O、水分といっているのに等しい
わけです。

我らの神こそ

「リアルさん、別に神様という呼び名で
もいいじゃないですか?」

という質問もあると思います。

神様でも、もちろんいいです。

しかし、神という言葉はお茶以上に
色が付きやすい。

つまり、概念が入りやすいわけです。

例えば宗教戦争って昔から今もあり
ますよね?

「我らの神こそが真の神である!!!」

みたいな感じで争いは絶えない。

それぞれの国や民族で崇める神がいて
、異教徒は人間じゃないみたいな風潮。

日本ではそこまで極端なのは少ないです
が・・・

「ウチは●●宗でお隣は●価学会だから
違うわ!」

みたいなのは多いと思います。

まあ、確かに違いはあると思いますが、

「そもそも土台(水分)は同じなんじゃない?」

というわけです。

例えばですよ?

南の小さな島であなたは子供の頃から
暮らしていたとします。

特にキリスト教とかの宗教は入って
きていません。

ブードゥ教みたいな土着的信仰も
ありません。

空と太陽と

海と

大自然があって

なんだかわからないけど、幸せと感謝を
感じる。

「そこに神様はいないんですか?」

って話になってきます。

フォローしないと

どっかの宗教や教えや儀式を受けないと
神様はいないんですかって話になります。

仮に・・・

・お経を唱えないと
・経典や聖書を読まないと
・洗礼を受けないと
・寄付をしないと

神がフォローしてくれないのだった
ら、少なくとも神ってその程度の
存在だと思いませんか?

フォローしないとフォローしてくれ
無い。

「Twitterかよ」

みたいな。

そうじゃないわけです。

仮に神が無限なら

そう言った限定は無いはずです。

ただ、その限定が無い故に。

限定的な脳しか持っていない
人間にはわかりにくくはなって
しまっています。

あまりに身近すぎてわからなく
なっている。

私たちは「それ」そのものなの
ですが、逆にそれがわからなく
なっている。

それは何らかの方法で思い出す
必要性はあるわけです。

その思い出した時に本当の価値がわかる。

筋肉そのまま教

これはどういう事かというと、
例えるなら筋肉です。

筋肉は多かれ少なかれ誰でもある
じゃないですか。

体を動かす=骨格筋
内臓を動かす=平滑筋

で誰でもあるわけです。

老若男女、全ての人が持っています。

例えばですよ?

今までの話の流れでいうと、神は普遍的な
側面があるので、これを筋肉に例えると・・・

「筋肉は普遍的なものです」

「私達にもともと備わったものです」

という・・・

「筋肉あるからそのままでいいんですよ教」

があったとしますよね?

「そうか!筋肉って既に在るんだ!」

「私はなにもする必要が無いんだ!」

と思うのも一つの正解ではあるわけです。

秘めらた力

しかし、だからといって全然運動しないと
筋力は弱まってきます。

・運動は嫌い
・ほとんど歩かない
・好きなだけ食べる

という生活だと若いうちはまだいいと
しても、歳をとればとるほど弊害が。

また、筋肉は元々あるのだけれど、
その潜在能力というのは秘められて
います。

普通にしていたのでは、その全貌は
明らかになりません。

例としてはスポーツ競技選手とか
ボディービルダーなどが良い例です。

・走ったり
・飛んだり
・投げたり
・重いものを持ち上げたり
・ギリシャ彫刻のような身体になったり

は筋肉を鍛えていかなければいけないわけです。

鍛えていった先に

限界までいった先に

見えてくるものがあるわけです。

神様の話もこれと一緒。

水の例えでお話しましたが、神といっても
よいし、宇宙意識や見えない叡智といって
もいいです。

「それ」

は私たちの世界を創造して私たちの細胞に
浸透しきっています。

ある意味、一体化しています。

ですから、なにもしなくても神に繋がって
いるわけです。

しかし、秘められているので全然
「神と一体」と言われても実感が
無いわけです。

理解する為には、筋肉と同じように
なんらかのアプローチをして秘められ
た性質を自覚する必要があるわけです。

もちろん、世の中というか世間一般の
全ての人が必要とは言えません。

仕事をして家に帰ってビールを飲ん
で相撲や野球を観てそれで・・・

「俺は一生満足だわ」

という人はおそらくそういうカルマ
ですから、本人が満足だったら必要
無いでしょう。

その人のレベルが低いとかではなく
今回の人生ではのんびり何も考え
ないで過ごす・・

「休憩輪廻タイプ」

なのかもしれません。

しかし、この文章をここまで読んで
いるあなたは、探究心に溢れていたり
次のステップに移行するタイミング
なのかもしれません。

その場合は自分に合ったアプローチ
で神の探求。

本当のあなたの探求を何らかの方法
で行うタイミングだと思います。

という事で今日はなんで「it」と
いう言葉を使っているのか?

それは普通に使っている神様と
いう言葉と同じ意味なのかという
お話でした。