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瞑想状態がやって来る時 サレンダー

前回は眼は眼を見る事が出来ないという話だった。

なぜ私達は悟り意識と一体化しているのに自覚出来ないのか?

それは認識のメカニズム上、ある種のトリックがあるという話だった。

 

抜粋

実はこのサマタ力(集中力)という言葉自体に罠がある。

ある程度のサマタ力は瞑想という訓練によって培われた「力」ではる。

しかし、本当のサマタというのは

その力を手放した時に自動的に起こるものだからだ

だから、ここでは掴み取る「力」の放棄が必要になる

受容とも言う

最弱の力とも言える

力を最大限に付けた後、その力を放棄する事が必要になってくる

ただし、この放棄にはあるものが必要である

そのあるものとは…

 

「眼は眼を見る事が出来ない」理由と…

「眼は眼を見る事が出来ない」理由と瞑想のサマタについて

 

今回はその続きで、では一体何が必要なのかという話。

結論から言ってしまえばサレンダー…

 

放棄

降伏

明け渡し

 

この要素が無いと、どんなにサマタ(集中力)が高くても瞑想にはならない

 

瞑想という言葉を使う時

実は2種類の意味がある

 

いわゆる座って座禅を組んでする瞑想

別に椅子でもいいのだが

眼を閉じて呼吸の観察をしたり

マントラを唱えたり

体の部位に集中したり

する事を一般的には瞑想と言うし

私もその言葉を使っている

 

しかし、実はこれらは準備に過ぎない

瞑想そのものとは言えない

 

なぜなら、座って瞑想のテクニックをしたからといって

必ずしも瞑想状態になるとか限らないからだ

 

これは実際にある話だが

禅寺に行って

あるいは東南アジアのお寺へ出家して

美しい完璧な姿勢で座禅をしても

必ずしも瞑想状態になるとは限らない

 

座っても、ほとんど通常と変わらない意識状態だったり

眠気に飲み込まれて悩んでいる人は多い

昏沈睡眠(こんちんすいみん)ともいう

 

なぜなら、瞑想の作法やテクニックというものは

 

「その状態」

 

がやって来る為の仕込みでしか無いからだ

 

これは料理をする時と似ている

例えばナスのぬか漬けを作るときに

ぬか床をいい塩梅に発酵させてからナスを入れる

仕込んだあとは1〜2日発酵するまで待たなければならない

 

瞑想もこれと一緒で準備して瞑想するのは仕込みである

 

瞑想の技法=ぬかにナスをつけて発酵した状態

 

とも言える

 

漬物をぬか床につけている間は待つ必要がある

これと一緒で、瞑想状態がやって来るまで

 

「待つ」

 

必要性がある

 

なぜなら、瞑想とは人間が力づくで獲得出来る状態では無いからだ

 

それはそれのペースでやって来る

 

よく瞑想に入るという言い方をするが

 

それだと微妙に違う

 

入るというとこちらが能動的にやるイメージだが

 

本当はその状態・モードが「やって来る」と表現した方が適切だ

 

これは睡眠に入るメカニズムとも似ている

 

熟眠するには

 

昼間の活動、光を浴びたり体を動かしたり

寝る4時間前に食事を終わらせたり

入浴してリラックスしたり

寝室を適温にしたり

心地よいベッドや枕を用意したり

 

私達の準備、セットアップによって

努力によって出来る事である

 

しかし、これらは準備・仕込みである

睡眠自体では無い

 

であるから、ベッドに入って

 

「寝よう 寝よう 寝よう」

 

とすればするほど眠れなくなる

 

なぜなら、そこに努力や期待があるからだ

 

「眠って楽になろう」
「疲れをとろう」
「明日の仕事に備えよう」

 

などの「企て」「意図」がある

力みがある

 

だから眠りからは遠ざかる

眠りは眠りのペースでやって来る

 

そう、あなたがこの力みを手放した時に

いつの間にか、あなたは眠りに飲み込まれていく

 

瞑想もこれに似ている

 

確かに悟りに向けた探究心

強い意欲と瞑想の技術は必要だが

皮肉な事にそれ故にそれが強ければ瞑想から遠ざかる

 

いくら座っても

ある一定の深さへは行けない

 

一種の変性意識や神秘体験は起こっても

 

「私」の枠から抜けられない

 

座を解いてしまえば、いつもの日常と私に戻ってしまう

 

なぜなら

明け渡し

サレンダー

放棄

この要素がなければ、本当の瞑想状態はやって来ない

 

これはちなみにの話ではあるが

明け渡した時にどのレベルのそれ(瞑想状態)がやって来るかは

その明け渡し度と仕込み度によって差が出てくる

私達は夜の眠りに対しても、ある種の明け渡しが出来る

であるから、瞑想に対しても明け渡しは無意識のうちに起こっているケースがある

 

しかし、それにもレベルというか差というものは存在する

 

偶然起こる軽い明け渡しから

命を削ってでも明け渡すレベルまで

 

明け渡し度は様々である

 

また、仕込み度というのもある

 

ほとんど瞑想の技法をやっていなかった場合と

それに半生をかけて情熱を傾けていた場合とでは

 

当然ながら修練度という意味で仕込み度が違ってくる

 

であるから、カテゴリとして、言葉としては同じ瞑想状態がやって来るのではあるが

 

「あっさっきの瞬間はなんだったんだろう…」

 

という軽いバージョンから

 

「・・・・・」

 

と2度と戻れない人生が変わってしまうような瞑想状態まで

 

それがやって来るバリエーションも様々ではある

 

ただ、どちらにしても

無意識にしろ意識的にしろ

明け渡した時に自動的にそれはやって来る

 

やって来る瞑想のバリエーションや深さを例えるなら

恋愛だ

異性に軽く惹れる場合もあれば

あなたが根こそぎ変容してしまうような恋愛もあるだろう

 

それは人のコントロールを超えている

それにはそれのタイミングと深さがある

 

どちらにしても

 

今、このような文章を読んでいるあなたは

 

大きく開かれたそれの口の中に頭まで入っているのかもしれない