前回はありがとう村とカルマ解消のお話だった。
今日はその続きから。
夜の祈り
昼間の重労働から解放されててホッとしていると、ありがとう村に誘ったWさんが耳元で…
「夜のお祈りは行くんか?」
と聞いてきた。
夜のお祈りって何?
「夜中から朝までお祈りするんや」
当然キャンセルである。
あれだけ昼間働いたので、やっぱり夜は普通に寝たい。
「そうか、俺は夜のお祈り行くんで朝でもいいから来てくれや」
と言い残しWさんはどこかへ。
しかし、驚きだ。
あれだけ激しい肉体労働しても夜中から朝まで寝ずに祈りの行をするという。
ちなみに、寝ないで瞑想したり祈りをする行はある。
ヴィパッサナー瞑想でもあるし、TMなどのマントラ瞑想もそういった不眠で行をしたりする。
肉体と意識の比率を変える
なぜ、このような事をするかというと、結局バランスである。
通常、私達は…
肉体=意識
のバランスが取れている。
極端な例を挙げると臨死体験。
あれなどは肉体のウエイトが限りなくゼロになる。
↑意識(10)
↓肉体(0)
そうすると、比較相対的に意識のウエイトが10になって、いわゆる臨死体験が起きるわけだ。
- 体から抜け出したり
- 天国らしきところへ行ったり
- 故人と再会したり
- 過去や未来へ行ったり
するような神秘体験が起こる。
であるから、瞑想もある種の死のシュミレーションとも言える。
だから、深い瞑想に入ると…
- 光が見えたり
- 音が聞こえてきたり
- 呼吸が止まったり
- 他の存在(神・仏・天使・その他)を知覚したり
するわけだ、これも言ったら臨死体験の時に出てくる現象だったりする。
遭遇するヴィジョンや音が真実かどうかはともかく、とにかく今までの自己をある種超越はするわけだ。
瞑想はある意味死のシュミレーションというと、なんだか不気味なニュアンスだが言い方を変えれば…
瞑想とは死を経験しなければ出来ない魂の進化を生きながら出来るメソッド
とも言える。
でだ、こういった瞑想や行では…
- 菜食や極端な少食にしたり
- 断食したり
- 何日も眠らないで瞑想したり
- 暗闇で過ごしたり
するパターンが結構ある。
そうすることで、臨死体験ほどではないが
↑意識(7〜9)
↓肉体(3〜2)
のように肉体の力が弱まるので、相対的に意識の力が拡大する。
そこを狙って不眠で瞑想したり断食したりするわけだ。
であるから、別に瞑想のトレーニングをしなくても…
- 熱が出たり
- 夜勤で昼夜逆転したり
- 徹夜したり
- 激しい運動をしすぎたり
した場合は何らかの神秘体験をしやすい傾向がある。
これも肉体と意識のバランスの均衡に乱れが生じたので起きた現象とも言える。
であるから、ありがとう村では昼間の重労働で肉体の余剰エネルギーを発散・浄化させて、夜は寝ないで祈るという、ある意味振り切ったシステムを採用していたことになる。
そんなことをつらつら考えながら…
「俺は寝る。 朝行けばいいや」
と考えて就寝。
翌日は朝の4時位に不眠で祈っている建屋に向かった。
室内ではありがとうおじさんが一番前に座っていて、30人くらいであろうか。
ひたすらありがとうの祈りを捧げている人々がいた。
五井さんのテープの音声が流れていて…
「ヒュー ヒュー(口笛の音) 世界人類が…」
というBGMの元、祈りの時間が朝、明るくなるまで続いていた。
ただ、正直な感想としては…
「・・・・・」
というところだった。
確かにある意味振り切っていて、凄いんだろうが私には合わないというか、シックリとは来なかった。
ちなみに、ありがとうおじさんはガッシリとした体格でいつもニコニコしていい感じの方だった。
ということで、ありがとう村に行ったわけだが、ありがとうの本当の威力を知るのはこの後の事である。
続く…