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覚醒や悟りで人格的に何か特徴はあるのか?

今日のお話は・・

「悟った場合、エネルギー的にとか、人格的に何か特徴はあるのでしょうか?」

の後編で、悟った場合はエネルギー的に変化するかということについて書いた。

前回のお話

質問回答 「悟った場合、エネルギー的にとか、人格的に何か特徴はあるのでしょうか?」

今日は人格的に変化があるかどうかという話。

結論から言えば・・・・

  • 基本的なキャラクターは変わらない
  • 道徳的になる場合もあるが、非道徳的になる場合もある
  • しかし、大抵はこなれてきて良くなる

という話になってくる。

昔、ヴィパッサナー瞑想をやっていた時に・・・・

 

「テーラワーダは戒律があるから安全です」

 

と重要事項として指導された憶えがある。

 

その時は・・・

 

「なんか地味だな、もっとこう心躍る特徴はないんかい」

 

と正直思った。

しかし、それが大間違いであることに後で気づく。

 

「戒律があるから安全です」

 

というのは深い意味があったわけだ。

 

逆説的に言えば、それだけ破壊力があるという意味。

 

例えば、乗り物でもスピードが出れば出るほど・・・

 

「安全装置」

 

というのが装備されてくる。

 

車だったら事故回避のシステムや衝突安全機能が
スピードが出る車や高級車ほど装備されている。

 

これがスピードが出ないママチャリとかだと、
そんな安全装置はついていない。

 

時速100キロを超える自動車の方が安全装置
は充実しているし、もっというと時速300キロ
の新幹線はもっと装備されている。

 

瞑想やスピリチュアルな修行において「戒律」
がこの「安全装置」に相当するわけだ。

 

つまり、それだけスピードが出る。

 

では瞑想においてスピードが出るというのは
どういう事か?

これについては色々なパターンがある。

 

前回説明したように、その人のカルマにもよる
し修行体系にもよるが、とにかくパワーアップ
はするわけだ。

 

パワーアップするのは別に悪いわけではないし
自然なのだが、次の場合には不都合が起きてくる

  • 自分の中にアンバランスな面がある場合
  • 自分の個性と社会や集団とのベクトルがズレている場合

また、単純に「意識」としての自己が自覚されるとこの世の中の仕組みや決まりにとらわれなくなるという性質も出てくる。

 

まあ、この世の中の仕組みや決まりにある意味とらわれないから悟りともいうわけではあるのだが。

 

しかし、この社会に暮らして他の人々と関わっていく以上は最低限のその社会のルールは守らないといけない。

 

ざっくりいうとそれが戒律だとも言える。

 

つまり、悟りや覚醒状態になったら自由すぎて社会から逸脱してしまう場合もあるので、あえて戒律でガードするという側面もあるわけだ。

 

この辺が最初に言った結論・・・

  • 道徳的になる場合もあるが、非道徳的になる場合もある
  • しかし、大抵はこなれてきて良くなる

という部分の話にはなってくる。

 

戒律という事を「その当人をカードする決まり」として解説したが、更にいうとこの戒律も人によって変わってくる。

 

なぜなら、この戒律は・・・

 

聖なる「それ」と人間であるその人とのある種の
契約でもあるからだ。

 

例えば・・・・

 

続く