今日は動画を撮影していた。
その中でカルマの浄化の話になった。
その話をブログでも少しシェアしていこう。
カルマ解消の年
2022年は私にとって人生で数回しかないとされているカルマの浄化が起きる年とされていた。
このカルマ浄化は実はまだ継続中であと1年半は続く予定。
まあ、死ぬことは無いとは思うが結構なダメージが多方面にわたって継続中。
その中でも今日は別れについて。
4月に旅立った愛犬
動画にも何度か登場していた愛犬のライト君が今年の4月に旅立った。
人によっては…
「なんだ、犬ごとき」
と思うかもしれないが、犬を飼っている人ならわかるかもしれないが、結構なダメージ。
ボーダーコリーがやってきた
元々、このボーダーコリーのライト君は親父が連れてきた。
16年ほど前に…
父
「犬を飼いたい」
といい始めた。
私は反対した。
なぜなら、その数年前も2匹の犬がいたのだがその世話とか介護とかペットロスを経験すると…
「犬はいいわ」
と思うようになっていたからだ。
先に逝ってしまう子供のよう
やっぱり、犬を飼ったことがある人はわかると思うが、なんというか…
「自分の子供が大きくなって、10年くら経過した時に急に弱り始めてこの世を去っていく。」
というなんとも言えない気持ちを体験する。
だから、前の犬も13歳と16歳で旅立ったのだが、私が週に何度も病院に連れて行ったり、点滴したり夜泣きを介護したりしていたので、もうそいう体験はしたくはなかったわけだ。
父
「自分が散歩も全部世話するから飼う!」
というのでしょうがないな… という感じ。
気がつけば親父が犬小屋を庭に作り始め、あっという間にボーダーの子犬がやってきた。
これが15年前の話。
小さな破壊王
可愛いか可愛く無いかで言えばめっちゃ可愛い。
家中を破壊しながら大きくなっていった。
最初の1〜2年は約束どおり父が散歩する事に。
しかし、しばらくすると…
「ダメだ、散歩お願い」
という流れに。
土台、60歳後半の運動嫌いの人間にボーダーは無理だったようだ。
それ以来、朝晩の計2時間の散歩が日課になった。
ただ、それが嫌かというとそうでもない。
かけがいのない
私も動物は好きなので、毎日ライトとすごしている内にかけがいの無い友となって行った。
冬は積もる雪の中を探検し。
夏は川で一緒に泳ぎ。
今思えば信じられないほど充実した日々をおくっていた。
しかし、そんな輝いていた日々もやがて過ぎ去っていく。
去年の夏くらいに後ろ足が弱って歩けなくなった。
それ以前から、思ば10歳を過ぎた頃から険しい山道は嫌がるようになり遠出もしなくなっていた。
寝袋で一緒に
フラフラしだした段階でイネイトペンダントなどを買って首輪に装着とかしたが、あれだけ無限の体力と運動神経を誇っていた散歩王も歳には勝てず。
外の犬小屋から屋内に移動してマットをひいて、一人だと夜は鳴き止まないので一緒に寝ながら過ごした。
不思議なことに子犬の時も可愛いし、元気な時も可愛いし、ヨボヨボになっても可愛くて仕方がない。
最後の方は自分で体を起こせなくなっていたので、トイレは無論、抱えながら餌をあげたり水を飲ませていた。
その感触が今でも手に残っている。
旅立ちの時
そんな日々を数ヶ月過ごした後、ついに別れの時が来た。
今でも時おり、明晰夢の中に登場してくるので一緒に遊んでいる。
旅立ってしばらくして、夢の中ではアルプスのような山脈がある広大な草原にいて、呼ぶと喜びながら突進してきた事がある。
きっと、向こうの世界ではまた走れるようになり、楽しく過ごしているのだろう。
何年先になるかわからないが、また再会することを楽しみにしている。
神は全てを与え全て奪う
というように、ボーダーのライトとの別れは今回のカルマ解消の一つだが、やっぱり人生、出会う時期もあれば別れる時期もある。
健康な時期もあれば病む時期もある。
順調な時もあれば不調な時もある。
何かの映画のセリフであった。
「ツリー・オブ・ライフ」だったか。
ブラッド・ピット、ショーン・ペンが出演した映画のセリフで…
「神は全てを与え、全てを奪う」
という言葉があったが、まあ、その通りなわけだ。
このようにカルマの浄化は誰にとっても厳しい場合が多いが、反面、それを通じて成長したりする機会とも言える。
別れがあったことは確かに悲しいことだが、それよりも15年という時を一緒に過ごせたことを今は感謝したい。
ということで、今日は最愛の友である愛犬の話をやっとブログでも公開出来たクリスマス・イブだった。