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幻想性から醒めるとは? 東京と関西のエスカレーター

今日はこのブログのタイトルである幻想から醒めるということについて。

幻想性から醒めるとは 簡単に言うと 色々なレベルがあります。

根源的には 私たちのこの世界の幻想性。

世界の幻想性というのは 有名なところでは人工知能の世界的権威であるレイ・カーツワイルや イーロンマスク、またオックスフォード大学のニック・ボストロム哲学教授が言ってっているような・・・

「 私たちはすでに仮想現実のシュミレーションの中で生きている可能性がある」

というような ことです。

シュミレーション仮説

これはシュミレーション仮説と言って 簡単に説明すると、 シュミレーションゲームってありますよね?

まあ、シュミレーションゲームでなくても PlayStationでもでも任天堂でも何でもいいんですが、 私が子供の頃はインベーダーゲームや簡単なシューティングゲームくらいしかありませんでした。

しかし、近年のテクノロジーの発達によって現実と見分けがつかないような 映像やクオリティ になってきています。

映画などもそうですが 最近 CG 化実写化分からないぐらい精密な キャラの動き 家 街の風景など 再現した 映画も多く出てきています。

また最近は VRやAR の技術の発達してきて、 今後ますますこの境目がなくなると予想されます。

特に2040年以降、こういった技術の進歩は一種の臨界点を迎えると言われ 一説によれば私たちは仮想現実の中で暮らし始めるとも言われています。

ここでひとつの疑問があります。

「実はすでに私たちはその仮想現実の中に生きているのではないか?」

仮想現実=マハマーヤ

それを言い始めたのが先のイーロンマスクであり、ニック・ボストロム哲学教授 だということです。

もっともこのシュミレーション仮説は昔から言われていたことで、ヨガのヴィーダー風に言うとマハマーヤと言う概念に近いと 言うことができるんでしょう。

マハ(偉大な・高い次元の)マーヤ(幻想)

仮想現実= マハーマーヤ

このように最新の科学者や哲学者 の見解と古代の叡智との見解が一致しているというのは最近の傾向です。

私が入ってる幻想性はマハーマーヤについても言えますが、もう少し メタ的な次元を落として 思考作用について お話ししています。

なぜなら、いきなりマハーマーヤについての理解は難しいからです。

それより先に手始めとして、私たちの思考について取り組んだほうが早いということです。

思考が苦しみを作り出す エスカレーター

 

思考についてというのはどういったことにかと言うと・・・・

「◯◯であるべき」

「◯◯しなければいけない」

というような思い込みを指します。

これは生まれてきてから親の教育や学校教育 というのもありますし、 社会的な常識でこうあるべき というのもあります。

もちろんそういった教えやルールは 少なくてもその時点では有効性が確認されたから存在してるのであって、 基本的にはそれに従っているのが良いとされます。

しかしそうではあってもあくまで便宜上と設定されてると言う 理解があった方が良い。

例えて言うと並ぶ順番。

東京では エスカレーターに乗るときに 立ったままの人は左側 歩きたい人は右側で 行くと思います。

しかし関西では この並び方が逆で、 立ったままの人は 右側に並ぶのが常識。

ですから私もたまに大阪に行くのですが 地域地域でルールが違うのだなというのは肌で実感します。

(ちなみに世界的規模で見るとエスカレーターの右側に立ち左側を歩く人用に開ける 国が多いようです。)

このようにエスカレーターで並ぶ順番ひとつとっても 地域や国によって違いがあります。

ですから関西の人が東京に来て、 右側に ぼーっと立っていると 人の流れを遮って迷惑になってしまいますし、 また、 関西と違う エスカレーターでの風景を見て・・・・

「 東京のエスカレーターの 乗り方はまちがっている!」

と 悩んでしまったり間違いを指摘して周りとの軋轢を生んだり。

・・・ ということはさすがに あまりないと思います。

ですが、 実はエスカレーターなどのルールは わかりやすいですが、様々な 思い込み。

「こうであらねばならない」

という考え が私たちの脳や意識に浸透していて、 それがもとで 本来の生き生きとした意識の自在性というのを損なっているということは多々あるわけです。

ざっくり言ってしまうと、こういった 思い込みやとらわれ を解消するのが、 古今東西 からある様々な行であったり教えであったりするわけです。

ウロボロス的な構造

しかし、皮肉なことに そういった思い込みやとらわれを解消するために やっている教えや行が、 逆にとらわれになって 苦しみを生んでいるパターンというのも存在します。

と言うか、私たちの住んでいる世界が、もともとそういった ウロボロス的と言うか、違いを生み出す世界なので、 それから抜け出すための メソッドさえも 罠になり得ると言う構造的なものを含んでいるから、 しょうがないと言えばしょうがないですが。

ただそういった全体的な話と言うか理解が進んで、適切なワークを行うと思考のマーヤについては どんどん解けていきます。

その結果今まで自分では想像し得なかったような 意識状態になったり、 発見があったり、 またこの生きていく世界 が新たな輝きを帯び始めたりしていきます。

実際にこれらは哲学的な本の中の話ではなく、あなたが体験し得ることです。

そういったことを私の体験談を交えてこのブログではお話しして行く予定です ので楽しみにしていてください。