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ジョン・C・リリーのサマディータンクと瞑想と映画の関係

前回は気づきのワークとしてダグラスハーディングなどについて触れた。

また、なぜ難しいのかの原因についての一つについて解説した。

前回のお話

Rubin’sワークに参加してきた 身体ワークによる覚醒ポイントの発見

今日はその続き。

前回は構造的にわかりにくくなっているという話だったが、今日は2番目の原因として…

「フォーカスされすぎている」

ところを解説していく。

フォーカスされすぎていると言うのは…

  • 思考
  • 感情
  • 身体
  • それを取り巻くこの世界

に私達の意識は強く強くフォーカスされている。

拘束されているとも言える。

本来、私達の意識はもっと広大で自由であるにも関わらず、これらのものに強くリンクされていて、それしか見えなくなっている。

その結果、色々な条件に制約されすぎた「山田太郎」(仮名)と言う幻影(マーヤ)が効き過ぎるわけだ。

幻影とい言うのは…

  • 38歳独身で
  • 都内足立区在住で近所の犬の声がうるさいと感じていて
  • 車のローンが気になって
  • 新しい社内プロジェクトにストレスを感じていて
  • 同期が自分より出世してモヤモヤしていて
  • 健康診断でコレステロール値が高めで
  • 3年前から付き合っている彼女の態度が最近冷たいのに悩んでいて
  • 最近FXを始めたが証拠金がどんどん減って鬱気味になっている

など、数々の条件付けに意識が引っ張られてリンクしていたりするわけだ。

神秘家のルーミーが言ったように…

「なぜあなたは翼を持って生まれたのに、人生を這い回るのか?」

みたいに言われてしまう状態にノーマルモードではなっている。

もちろん、この世界・社会で生活していくには身体や思考、この世界とリンクする機能は必要不可欠だし、逆に無ければ困るだろう。

そうやって生きていくのが私達の人生だとも言えるからだ。

しかしながら、必要の無い時まで同じような思考や感情がグルグルしていたり、エネルギーをロスしているのも、いかがなものかという感じになってくるだろう。

ではどうしたらいいのだろうか?

通常、ここの部分は瞑想の集中力であるサマタ力を上げて、この強くフォーカスされている状態からの解除を目指す。

これはヨガでも仏教の瞑想でもだいたい同じ。

集中する対象を想定して、それに対して集中してサマタ力を高めていく。

多くの場合は…

  • 呼吸
  • 体の特定の部分(腹、眉間、足、手、その他)
  • マントラ

などに集中してサマタ力を高めていく。

このサマタ力が一定以上高まった状態になると、先ほどお話したような身体や思考へフォーカスされすぎた私達の意識のリンクが切れてくる。

そうすると初期的にはグルグルしている思考や感情から解放されてスッキリしてくるわけだ。

また、それが進むと本来の自在性に満ちた「意識」としての私というものが理解されてくる。

これはどう言うことかというと、例えばあなたは面白い映画を観たとする。

そうすると、2時間が一瞬のうちに過ぎるのを経験するだろう。

意識もまるで映画の世界に入ってしまい、日常的な状態とは異なったものになっている。

その映画が上映されているうちは…

  • 普段の思考
  • 体の感覚
  • 時間や場所の感覚

などが変化する。

つまり、通常、生活している普段の体や意識、思考状態のリンクが切れて、別の形態になっているとも言える。

簡単にいうと忘れるわけだ。

忘れて対象、この場合は映画に没頭する。

と言う話になってくる。

瞑想という技法はこう言った映画という対象物を使わずに、ある意味ピュアな状態でリンクを切っていって本来の「意識」を再認識するという作業とも言える。

がしかし、ここで問題が発生する。

サマタ力が足りないケースが多いわけだ。

先ほどの映画に例えると、時間や場所を忘れるほど面白い映画に出会えない状態。

だから…

  • なんだか退屈だな
  • 終わったら何食べようかな
  • 眠い
  • まだ続くんだ、いつ終わるんだろう
  • 映画が終わって帰るのカッタルイな
  • 長時間座っているとお尻が痛いな
  • ちょっと寒いな、最近はコロナ対策で毛布も無いのか
  • 隣の奴がポリポリうるさいな

などと映画の世界に没頭出来ずに退屈して、いつもの状態のまま。

瞑想もこれと一緒で、サマタ力が足りないと座っていてもつまらない映画やドラマを見ているのと同じような状態になってしまう。

没入出来ないわけだ。

ここを解消する為に瞑想でも様々な技法がある。

がしかし、それでもなかなか難しい。

もちろん、ある程度集中出来ると心は静まるし、リラックスもする。

しかしながら、求めていた悟りや覚醒の状態というのがわからない。

それは没入が足りないから。

サマタ(瞑想における集中力)が足りないからだと言える。

これは余談だが、瞑想によってサマタ力を高めずとも思考や身体、この世界とのリンクが解除出来れば本来の意識の一端は垣間見れるといえる。

例えば…

  • 事故に遭った時に周りがスローモーションに見えたり
  • 臨死体験して光の存在にあったり
  • 高熱が出て寝込んだ時に部屋に違う存在が見えたり
  • 深い睡眠中に体外離脱して他の世界を垣間見たり
  • 明晰夢を見て夢の中で目覚めたり
  • 突然至福意識に包まれて、今までの全てが肯定出来たり

などなど。

また、ジョン・C・リリー博士が開発したアイソレーションタンクなども、なぜあんなカプセルの中の液体にプカプカ浮くのかといえば様々なリンク、特にこの身体への刺激を最小限にしていくという意図があるからだ。

余談だが、私が作ったdeepのプログラムはアイソレーションタンクを使わずに自宅で無重力や無境界が体験出来るとのレビューを沢山頂いている。

話を戻すと、多くの場合はこう言ったサマタの壁を破ることが出来ないので、先ほどのジョン・C・リリー博士ではないが、LSDやDMTなどのハーブかケミカルに関わらず、何らかの外的なものの助けを借りようとしたりする。

ただ、多くの場合その試みは上手くいかない。

もしかしたら、未来は人工的に覚醒出来るようなテクノロジーが開発されるかもしれないが、今のところは困難だとも言える。

では一体どうしたらいいのだろうか?

続く…