deep瞑想とは
今日はdeep 瞑想の話。
deep瞑想とは ヴィパッサナー瞑想を より簡単に一般の人にもできるようにした瞑想である。
まぁこれは私が考えたというか…
「こっちの方がやりやすいなぁ」
ということで考案したものである。
簡単に言ってしまえば…
「余分な力みを とって瞑想する」
と言う話になってくる。
余分な力みの正体
余分な力みとはなにか?
詳しくは動画でも話しているが、通常、瞑想するときにヨガでも座禅でもいいけれども、座って瞑想すると思う。
しかしこの座って瞑想すると言うこと自体が1つの緊張だ。
・ ちゃんと座らなきゃ
・ 足が痛いなぁ
・ どういう風に呼吸するんだっけ?
と言う思考が無意識のうちに働く。
そもそもが体を座った状態に維持すると言うのは、結構な力が入っている。
姿勢維持の負担
例えば、熟眠した人や 酔っ払って泥酔した人は背筋をまっすぐにして座れない。
すでに座れているということは、それだけ識的にも肉体的にも私たちのリソースが
「 姿勢を維持する」
と言う仕事にとられていると言うことだ。
瞑想姿勢の美学と幻想
これが 単純に姿勢の維持だけならまだしも、一定の形式で座っていると、そこで美学的なものが入ってくる。
「私はうまくヨガの姿勢で座ってられるだろうか。」
「 座禅の姿勢で座ってるけれども、俺ってカッコイイ!」
みたいな様式的な幻想も入ってくる。
姿勢にこだわることの弊害
もちろん、なんというか、習い事で気分をリフレッシュしたい場合、そうやってやってる気持ちになったほうが気分転換になるので良いかもしれない。
しかしながら、本当に瞑想に入りたいと思っている場合は、そういった姿勢の極みや心理的なマーヤが障害になってくる。
瞑想の障害:リソース消費の比喩
ちょうど、パソコンに例えるとメモリみたいなものだ。
メモリが8ギガしかないのに、姿勢の維持で4ギガ使ってるみたいなイメージ。
不十分な瞑想の症状
その証拠に…
・ 座っているけれども、何も変化が起きない
・ なんだか退屈
・ 時間が なかなか過ぎない
・ 雑念ばかり浮かぶ
・ 落ち着かない
・ 眠くなる
・ 寝てしまった
などを瞑想しているつもりでも、ほとんど形だけになってしまう場合がある。
瞑想の障害:過度の意気込み
ではこれは何が原因なんだろうか?
いろいろな原因はあるが、シンプルに 言えば…
「瞑想に入ってやろう」と言う意気込みが邪魔していると 言える。
瞑想と通常の行動の違い
もちろん瞑想に限らず何かをするときは
「〇〇をしよう」
と言うモチベーションというか意図は必要である。
しかし、残念ながら瞑想や悟りと言うのは私たちが一般的に使う。そういったベクトルには乗っ取っていない。
そういったベクトルと言うのは「〇〇しようと思って〇〇した」みたいなベクトル。
瞑想と悟りの特性
瞑想や悟り(至福体験や一瞥体験) などは基本的に起こそうと思っても起きない。
努力してできるんだったら、誰でもできてるわけだ。
そういう男性的なベクトルではなく、自動的な女性的なベクトルにおいて 発動する場合が多い。
瞑想と睡眠の類似性
身近な例で言えば、夜寝る時などぞと近い。
眠ろう眠ろうと思うほど意識が覚醒してしまう。
逆に眠ろうと言う意識を手放したときに眠りに落ちる。
と言う状態に近い。
Deep瞑想のアプローチ
では何が必要か?
それは瞑想に入ろうと言う意図や体の緊張を手放すことである。
体の緊張を手放す ということにおいては、座った姿勢だとなかなか難しい。
もちろん 中級上級者になれば、逆に座って瞑想したほうが深い状態に入るわけだが。
ただ、なかなか瞑想状態に入れない場合は、座った姿勢から寝ている姿勢に変化をつけてみた場合が 良い場合が多い。
呼吸への意識
しかし、寝た姿勢だとそのまま睡眠状態になってしまう場合が多いので、気づきを保つために呼吸を使うわけだ。
その話が前回 アップした呼吸音を感じると言う部分になってくる。