前回は瞑想についての質問などの回答をした。
前回のお話
瞑想法の質問
まぁ、その前も自分の体験とかをお話ししたが、勘違いして欲しくないのが私も含めてこういった。誰かの体験談とか読んで… .
「そうならないとダメなんだ」
と思ってしまうのも、また少し違う。
瞑想出来なくてもいい
前回も話したが、私はこういった情報を発信したり、瞑想を教えたりする設定というか、カルマになっているんでこういう話になってるだけ。
であるから、極端に言えば別に座って瞑想しなくても、人によってはいいっちゃあいい。
もちろん、瞑想した方がいいと言えばいい。
例えば、インドの伝承医学であるアーユルヴェーダなんかでも、様々な食事法の他にメンタルアーマー(意識にたまる毒)を解消するために、瞑想しましょうみたいな話になってくる。
やっぱり、睡眠しただけでは取れない様々なストレスや環境とか人からの影響、もしくは自分の過去のカルマ的影響なども、ちゃんとした瞑想をしていれば、解消したり、緩和したりすると言うこともある。
であるから、古今東西昔からある様々な体系では、瞑想的な技法が取り入れられている。
ただぶっちゃけ言うと、じゃあ瞑想しなければダメなのかと言ったら、そんな事は無い。
「じゃあーリアルさん、瞑想しなくていいなら、別に自由気ままでいいんですね」
1日1時間は
まぁ、極論言えば、それも悪くはないんだが、それだとただ普通になってしまうんで、少なくともスピリチュアルというか、自分であるとか、この世界であるとか、そういったものに最良のものを求めるんであれば、1日1時間は何らかのワークをしたほうがいい。
これは伝統的なヨガなんかでも言ってるが… .
「1日1時間は神のために使いなさい」
みたいな言葉があって、やっぱり仕事をしてたり、家庭生活を送ってたりすると忙しいと思うが、最低1時間位はそういったことに使いなさいよみたいな話になってくる。
意識を向けたものになる
なぜなら、私たちの意識の特性として…
「意識を向けたものに私たちの意識は等しい性質になる」
と言う特性がある。
であるから、放っておくと、日常の仕事や人間関係や雑務のアレやコレやに流されてしまうんで、私たちの意識もそれと同質になってしまう。
別に座って行う瞑想が苦手だったら、マントラを唱えるジャパでもいいし、神様とか自分が好きな聖者に向けた祈りをしてもいいし、内証する時間をキープして一人静かに過ごすのもいい。
そうすると、自分なりの答えというか納得感が出てくるはず。
別にすごい神秘体験とかが無くても、サイキックなどの特別な能力が発露しなくても、自分なりの納得感が出れば、それはそれで1つの答えと言うか到達点なわけだから。