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あるがままとあなたは既に「それ」であると突然の恩寵が訪れる時

今回「あるがまま」問題。

詳しくは動画で解説しているが、文章ではもう少し突っ込んでお話してみます。

この「あるがまま」と言うのは「あなたは既にそれである」と言う話にもなってくる。

昔、まだ私が20代の頃

「気づきが悟りの状態」

と言うことをある 聖者さんに言われた。

その時に…

「気づきと言うのは、今この気づきのことですか?

だったら、これが、それなんですか」

と言う質問をしたが、 その時は、明確な答えがもらえなかった。

今ならこの気づきの意識がそれだと言う のはわかるが、当時はわからなかった。

では、なぜ当時 はわからなかったのだろうか?

経験不足と言うのもあるが、前回の話に出たサマタと 気づきの強さや精度がイマイチだったためだ。

少し小難しいというか、めんどくさい話になるが、この辺は言葉の 定義というかマーヤが関係してくる。

具体的にはどういった話かと言うと、私たちは同じ言葉を 使いながら同じ共通認識をしているとは限らないということである。

手に取ってわかるような商品の場合は、同じような言葉で同じような意味を認識している。

例えば、コカコーラと言ったら、誰でもコカコーラと言うのはわかる。

パソコンだってそうだ。

MacBook AirのM2モデル をくださいと、ヨドバシカメラの店員に行ったら、そのモデルが出てくる。

ところが、 実態がないものになってくると この辺が 錯綜してくる。

例えば 平和 や正義と言う概念。

今パレスチナとイスラエルが紛争を起こしているが、 平和や正義と言う 考えや主張はどちらの国に軸足を置くかによって全く主義主張が変わってくると言うのはわかると思う。

気づきと言うのもそのうちの1つで、 同じ気づきという言葉を使っていてもサマタ力、 つまり瞑想における集中力を訓練した場合と訓練してない場合では全然意味合いが違ってくる と言う話になってくる。

であるから、この辺の訓練は一時期は非常に大事になってくる。

ただし、そうとは言え私たちは既に「それ」であるのも確か。

もし私たちの意識が純粋になった場合。

時に恩寵が 訪れて、私たちの未熟な集中力や気づきを凌駕した認識が与えられる場合がある。

であるから、バクティが一番早いという 話もこの辺から来ている。