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Rubin’sワークに参加してきた 身体ワークによる覚醒ポイントの発見

先日はRubin’sワークのサポートしに行ってきた。

そこで感じたことをシェアしてみよう。

Rubin’sのワークとはパートナーのAYAが開催しているものだが、一言で言えば…

「身体ワークを中心として覚醒意識を体感する」

というのが一つのコンセプトになっている。

これはどういうことかというと、通常、この「私」という意識は様々なものに紐づけられている。

  • 身体
  • 名前
  • 社会的な役割(父母、子供、会社や仕事でのポジション)

などに紐づけられている。

今風に言えばリンクしているわけだ。

これはこれで別に間違いではない。

しかしながら、本来の「意識」としての自在性という意味では、これらの要素にリンクが強すぎる状態だと限定されてしまう。

例えばあなたは会社で社長だったとしよう。

しかし、家に帰って子供に…

「パパ〜」

と呼ばれると社長という特性は影を潜めて「パパ」という要素が前面に出てくる。

これと同じように、あなたは本来、名前もつけようもない自由な「意識」であるにもかかわらず、長年人間としてすごしてきたおかげで数多くのリンクがによって限定されてしまっている。

知らず知らずのうちにだ。

このような会社の役職とか家庭内のポジション(親子)などは比較的わかりやすいパターンではある。

しかし、この肉体との同一化というのがわかりにくくなっている。

特に頭の中の脳に「私」がいるという感覚に囚われすぎてしまっている。

もちろん、この設定は一般の社会生活をおくる私達にとっては便利だし何の支障も無い。

ところが…

「私」

という本来非常に自在性に満ちた意識という面から言うと、この辺の拘束が非常にネックになっている。

なぜなら、その固定化された点と様々な概念や感情のリンクが強固になってしまって、様々な悩みや問題点の温床となってしまっているからだ。

ここのリンクを解除する為に古今東西様々な技法が存在する。

今回参加したRubinのワークはこの辺を「身体と意識」と言う誰でも確認可能なもので、再構築していくわけだ。

例えばTwitterで公開されているが、このワーク。

 

意識の焦点を頭頂や手の中に再発見し

それこそがこの世界を認識・創造しているポイントであると認識させるワーク。

ここの部分が非常に高いサマタ(瞑想における集中力)を持って体感されると、破壊的とも言えるほどの解放感と自在性に満たされる。

ただ、通常の身体のコンディションではなかなかそこまでの高いサマタは発揮出来ないが、通常の意識の注意力でも正確にニュアンスがつかめればこのポイントは認識可能である。

あとは、その本来の意識とこの世界に出てきたプログラムとの兼ね合いとの話になってくるのではあるが、とにかく一つのブレイクであることには変わり無い。

この世界に生まれてきた私たちのプログラム(カルマ)を遂行したり解消するにしても、この自在な意識が本体であると身体でわかっているのと、全然意識さえしていないのとではかなりの違いが生じてくる。

続く…