前回は瞑想の段階が進んでくるとどうなってくるかというお話だった。
抜粋
今までお話したように、私も最初はマントラを唱えると心身共に静まっていく流れだった。
その少し後で自然に光が見え出した。
ただ、この光も実はTM瞑想する前から独学でやっていた時に視えていた光が強まったもので、マントラ瞑想をしたから光が視えたわけではない。
本格的に意識全体が輝き出したのは…
瞑想が深くなってくる時…
という話の続きから…
脳が作り出す光と夢
意識全体が輝き出したのは30代に入ってからだった。
この…
「意識全体が輝き出した」
という表現もマーヤっぽいというか、どうなんだろうとは思うが事実だから仕方が無い。
今までは部分的な光は出現していた。
ヨガでいうチャクラ
ヴィパッサナー瞑想でいうニミッタと言われるもので、小さなものは点として、大きくなると拳大くらいの光が視えていた。
ちなみに、私が提供しているプログラムでも「アストラルライト」という光を開発するものがあるが、やり方さえわかれば多くの人は多かれ少なかれ光を観る事が出来る。
なぜ光を観ることが出来るのか?
それは私達には元々光を投影する機能が備わっているからだ。
例えば夢。
夢を見ているときは目を閉じているわけだ。
脳内の様々な働きによって夢の映像が投影され経験される。
今あなたが観ている風景だって、視神経から取得した刺激を脳が合成しているだけだ。
つまり、あまりに自然に目の前の世界を観ているから、これが自然だと思い込んでいるだけであって、それだってあなたの脳が合成した映像である。
夢見の状態の時は視神経からの刺激、つまり光がなくても脳で光の映像を作り出して見ている。
意識の本質は光
また、霊的な話で言えば私達は本質として「光」なので、瞑想によって自我や心身の境界が薄れてきた際に、その本質である光に遭遇するのはごく自然なことではある。
ということで、10代の頃からチャクラのような光は見えていたわけだが、意識全体が輝き出したのは30代に入ってからだった。
きっかけとしてはTM瞑想のシディテクニックというのを実践したのが結構大きい。
TM瞑想のシディテクニックというのは「スートラ」というものを使い、意識を活性化させるもの。
この辺の話も以前したのでチェックしておいて欲しい
このTMシディの合宿の時だったが、特殊な環境で瞑想した為か意識全体が輝き出した。
例えるなら海。
光の海
光の海があって、そこに常時接続している感じ。
今例えで海と言ったが、実際に光の海があるわけだ。
火山の火口があるが、光の火口と言ってもいいかもしれない。
であるから、瞑想しようと思って座って目を閉じただけで、マントラやスートラを唱えなくてもドッカン、ドッカンと目の前全体が輝き出す。
以前は部分的にチャクラとして光が見えていたが、視界全体、身体全体に光がうねって輝いている感じだ。
その時…
「純粋意識ってこういうことか…」
とその片鱗を知った。
TMシディテクニックでは「フライング」「ホッピング」という体が跳ねる現象が発生するが、あれはこの躍動した純粋意識の影響で体が反応しているわけだ。
肉体という生身の体では長い時間あの高圧な純粋意識状態には浸れないので体がフライングとして反応するという教えではある。
このようにTMシディで瞑想状態の段階が進んでいったわけだが、この状態が深まるには少し時間がかかった。
この辺のTM関連の話も他にも色々あるのだが、公開してはいけない情報なのでネット上ではこれ以上書けない。
実際に対面でお会いした時にポロリと言ってしまうかもしれないが。
ちなみに、時折…
「リアルさん、TMシディで実践するスートラ教えてください」
というリクエストがあるがそれは道義的にNGなので悪しからず。
停滞
シディの合宿が終わって家で実習するわけだが、相変わらずフライング状態にはなるが、合宿して瞑想した時ほどは来なかった。
もちろん、至福の泡と言われる細かい泡状の感覚が全身を包み込みジャグジー風呂に入ったような感覚にはなるのだが、現金なもので体外離脱と同じでしばらくすると普通になってくる。
飽きてくるというと言い過ぎだが、慣れとは恐ろしいもので特別な感動も無い。
もちろん、普通になるとは言え、瞑想時以外でも至福状態に全身が痺れたように包まれる事も増えてきた。
ただ、正直なところ…
「これが私の求めていたものなのか?」
「もっと先があるはずだ」
などと物足りなくなってくる。
しかし、そうとは言えTMシディによって、また瞑想状態が変化してくることになる。