前回の話からの続きでTMシディテクニックについて。
前回は水槽の水と魚とを例にしてお話をした。
下の図を見てほしい。
水槽の中に魚がいる絵。
水を純粋意識(覚醒意識)だとする。
通常、魚は水の存在をおろらくは明確には意識していないだろうというのは以前解説した。
この辺は私達が空気を普段意識していないのと一緒。
では、どうやってある意味、一体化しているが故に自覚出来ないものを認識するのか?
下の図を見てほしい。
水に振動を与えたり、撹拌させればいいわけだ。
そうすると、魚はビックリして・・・
「なんだ! なんだ!」
となると同時に水の存在を明確に感じる。
色々な切り口で解説することは出来るが、このように振動を与える要素がTMシディテ・クニックだという事も出来る。
ここから更に深く入っていくので注意深く聞いて欲しい。
実は認識のメカニズムとしてトリックがあって、実は水の存在を感じて己の真の姿を自覚するという段階がある。
以前の記事で・・・
「見る」
というのを思い出して欲しい。
下の図のように・・・
「コーラが在る」
というのは私が観ているから「存在」する。
私が見て(認識)しなかったら・・・
「コーラは在るだけれども、無い」
という現象が発生する。
「リアルさん、コーラを見ても見なくてもコーラがあることには変わりはないでしょ?」
と思うかもしれない。
しかし、そうではない。
例えば、江戸時代の人がタイムスリップで現代に来たとしよう。
八兵衛さんとしておこう。
江戸時代から八兵衛が来たが、3日間水を飲んでいなくて喉がカラカラ。
その時、目の前にコーラの缶があっても・・・
「南蛮由来の摩訶不思議な筒がある、はて??」
みたいな感じで、喉がカラカラでもコーラを飲みものと認識出来なければ渇きをいやすことは出来ない。
コーラ=飲料水
という認識があって始めて「プシュッ!」とプルトップを開けて飲むことが出来る。
ここには更にトリックがあって、実はコーラを認識するとコーラが顕在化するという性質の他に・・・
コーラが在る事によって「私」が存在する
という構造になっている。
逆に言えば・・・・
「コーラがなかったら私もなかった」
という話になってくる。
これを聞いて・・・
「リアルさん、何を言っているんですか? コーラが無くても私はいるでしょう」
と思うかもしれない。
今は認識の構造の話。
ここら辺が覚醒意識の認識の一つの鍵になっているので理解して欲しい。
例えば、暗闇の中で修行するという話を聞いたことはないだろうか?
チベット密教では暗闇の瞑想「ヤンティ」というものがあるという。
暗闇の中で瞑想する修行で暗い中で何日、何ヶ月間もするという。
最近では不食で有名なジャスムヒーンも断食して暗い中で瞑想するリトリートを開催している(コロナ禍で現在は不明)
なぜ暗闇の中で瞑想するのか?
これは今までお話したコーラの認識構造と一緒。
暗闇の場合、当然ながら他の物が見えない。
椅子やテーブル、内装や壁などが暗闇なので見えない。
そうするとどうなるか?
部屋の様子は見えないのは当然だが、次第にそれを見ている私の存在もあやふやになってくる。
であるから、修行をしようと思って暗闇の中で瞑想したり感覚遮断をするのならともかく、拷問や刑罰でこのような状態になると精神に異常が現れる。
なぜかというと、外界の対象物や刺激によって「私」が維持されているのでそれが無くなると「思考」や「感情」を対象物として自分を保とうとする。
いわゆる幻覚、妄想だ。
まあ、言ったら睡眠時に見る夢や瞑想時に観るヴィジョンもこれに近い物がある。
この辺が神秘体験の罠で何かを体験したからと言って、それが正常なプロセスなのか幻覚なのかは注意してみていかないといけない。
話を戻すと前の記事で肉体と意識のバランスの話をした。
肉体の力を削ると比較相対的に意識の存在が浮き出るという話。
この暗闇の瞑想の場合は肉体の力を視覚的に削っているとも言える。
その結果、通常モードの意識が崩壊して元々あった意識の存在が顕になってくる構造。
元々あった意識というのは自分が人間と自覚前するの意識。
シンプルに言えば私達は認識する対象に依存して今の人間とし存在というか気づきを保持していると言える。
コーラが無いと
机や椅子が無いと
部屋の内装が見えないと
木や山や空が無いと
光が無いと
私達は気づきや認識の構造上存在出来ないメカニズムになっている。
であるから、映画アルタードステーツのモデルにもなっているジョン・C・リリー博士はサマディータンクという体の触覚を無効化するアイソレーション・タンクに入ってLSDでキメたわけだ。
「私達は外界の対象物を足がかりとして存在している」
というわけだ。
その対象物を取っ払うと意識が変化する。
変化するというよりはデフォルトに戻る。
朝起きて
歯を磨いて
車に乗ったり
電車に乗ったり
仕事したり
ご飯を食べたり
お喋りしたり
スマホを見たり
する「私」が人間バージョンの私だとすると、もっとその基盤となるデフォルトの「私」が存在している。
厳密にいうと、そのデフォルトの私は私でさえ無いのだが。
この辺の認識のメカニズムや瞑想の仕組みについて、わかりやすく説明している本や文章はみた事が無いので、若干、詳しめに解説している。
なぜ、このような仕組みがわかるかというと、瞑想体験も一定のレベルを超えてくると自然と「わかる」という現象が起きてくる。
直感とか仏教などでは「般若智」とかいうが、自分が苦手な分野や知識が全然無い分野は無理だが、自分の専門分野は普通以上に仕組みがわかったりする。
とにかく・・・
「私達は外界の対象物を足がかりとして存在している」
というのがある程度瞑想が進むと如実に体感としてわかってくる。
暗闇の話を例に出したが、逆に言えば外界の刺激を無くせば本来の意識が顕になる。
この仕組みを応用したのがdeepという講座でやっているメソッド。
このメソッドは暗闇やフォローロングタンクを使わずに外界の刺激の入力をカットしていく方法。
あれをやって、ある程度瞑想状態がやってきた人はわかると思うが、身体の感覚が無くなって拡がっている「私」を感じたりする。
話を戻すと・・・・
・普通の状態、人間形態の意識モードは外界の刺激によって成り立っている
・その基盤には人間形態を超えた「私」「気づき」モードが存在する
・基盤の状態は水槽の水と同じく、一体化していてわかりにくい
・一つの方法として水槽の水を攪拌すると水の存在に気づく
・その方法としてTMシディテクニックは有効
という話だった。
つまりAの覚醒意識を認識する為に強さ、インパクトが必要だというのを実現できるようになるわけだ。
次に具体的にどうやるのかシェア出来る範囲内でみていこう。