甘く腐ったようなディーゼルエンジンの匂いが部屋の中に漂ってきた。
トラックがギアをリバースに入れてバックする時の
「ピー ピー ピー」
というバックブザーのアラーム音も頻繁に聞こえてくる。
家の奥の畑だった敷地に住宅が建つらしく、3分に1度くらいの間隔でトラックが家の前を出入りしているからだ。
環境としてはあまりよろしくない状態だと言える。
しかし、意識はいつもの如く磁石によって吸い寄せられるように深い意識へと接続していった。
朝の瞑想タイムである。
ああ、なんということだろう
昔は想像出来なかったが、こんな世界があったとは
私たちが至福意識だというのは本当だった
個の意識を超えて大いなる意識があるというのは本当だった
やはり聖地やパワースポット、もしくはヴァースト(風水的な建物)などの整った環境で生活したり瞑想するのが理想と言えば理想ではある。
だが、ある程度瞑想に熟練すると場所はほぼ関係無くなる。
排気ガスが漂ってこようと
雑音があろうと
気温が高くて蒸し暑くても
ほぼ影響は無い
なぜなら、私たちの本質的な意識である「それ」は
街の雑踏の中だろうと
地下鉄の電車の中だろうと
どこにでも満ち満ちているからだ
もちろん、あまりにも劣悪な環境
例えば終電近くの泥酔客が多い満員電車や
極端に気の悪い場所などは瞑想によって至福感はかなり感じにくくなる
ただ、そうとはいえ
「それ」が満ちていない場所などなく
「それ」から隔離されている人などいなく
「それ」から離れている出来事などもなく
違いといえば
ただ、それが感じられるか
自覚出来るか
認識として腹に落としこめているか
だけの違いとも言える
だから、認識出来ているかいないかの違いはあるが
あなたは既に「それ」である