前回はパラアートマとは何かというところまでだった。
「実はあなたや世界を動かしているパラアートマという存在がある
これが理解出来た時、あなたの世界観というか認識が変わる。
この世界はこの世界でありつつも、まったく違った様相を呈する。」
という話。
パラアートマとはシンプルに言えば・・・
パラアートマ=神
という話になってくる。
バガヴァッド・ギーターでは神の事をパラアートマと呼んでいるからだ。
しかし、この神(パラアートマ)は一般的に私達が思っている神の概念とは違う。
一般的な神の概念とは、普通の日本人だったら・・・
「神社にいる神様」
とかだろう。
初詣とかなにかお願いごとがあると、お賽銭をいれてお願いしますみたいな感じ。
もしくは神道などが好きな人は神話や八百万の神のようにある種の人格神を信仰の対象としている。
また、諸外国などのセム系(ユダヤ・イスラム・キリスト)の宗教の神は・・・・
- この世界を創造し
- 人間や生き物を作り
- どう生きなければならないかの規範を作り
- その規範によりポイント(懲罰)性を取り入れた
というのがおおよその宗教であり神が定めたものとされている。
しかし、インドのヴェーダであるバガヴァッド・ギーターは違う。
いや、部分的には同じような傾向というか、一般大衆に流布される時点で人格神的な側面も強調されるケースもあるが、もともとは違う。
神は創造主でもあるが、その創造物である我々一人一人の中に「在る」とされる。
- 創造者=神
- 創造物=世界や人間その他生き物
- 行為者=世界の動き人間の行為(思考や感情含む)
というように貫かれているわけだ。
私はitの講座で神をテーマにした話やワークをしているが、そのit(それ)の説明として様々な話をしているが、言ったらヴェーダの「パラアートマ」の概念が最適だったわけだ。
「いや〜リアルさん、なに言っているかわかんないですよ〜」
みたいな話があるかと思うので、例えて言うとあなたは昼に・・・
「あ〜ラーメン食いてえな〜 ラーメン次郎行くか」
と思ったとする。
普通はその「ラーメン二郎を食いたい」と思ったのは「あなた」が大食いでラーメン好きだからだと自分で思うだろう。
しかし、バガヴァッド・ギーター的にはパラアートマの働きによってあなたがラーメン次郎を食べるという設定になっているという話。
シンプルにいうと、あなたの心に湧き出ている考えや感情はある意味・・・
「勝手に出てきている」
わけだ。
別にラーメン次郎じゃなく、いきなりステーキでもいいはず。
なぜ、ラーメン次郎を食べたいという思考や感情が出てきたのか?
- ラーメンを食べたいという思いを自分で選んで出したわけでもなく
- その感情が最も強く行為してしまい(コントロール出来ない)
という事であれば、それはあなたは「ある種」の力によって動かされているのではないか?
という話になってくるわけだ。
「いやいや、別に何を食べるかなんか別にどうでもいいしょ」
と思うかもしれないが、これはラーメンだけでなく・・・
- 全ての考え
- 全ての感情
- 全ての行為
がこの流れで起こっているとすると・・・
「果たしてあなたが行為者なのか?」
という話になってくる。
もっと言ってしまえば・・・・
- あなたがこの世界を作ったわけではない
- あなたがあなたという存在をこの世界に生み出したわけではない
その世界において自分の考えや感情、行動さえも自分自身が起こしたとは厳密には言えない。
では、何がそれに関与しているのか?
それがit(それ)でありバガヴァッド・ギーターでいうところのパラアートマだという話になってくる。
このパラアートマは理論的に知るのも重要だが、実は直接的に「知覚」する事も可能である。
いったら、それが究極的にはヨガの体系であったり瞑想だったりするわけだが、時期が来ている人は知識としてこの体系に触れるだけでも、様々なマーヤ(迷妄、悩みや苦しみ)を焼き尽くす事が可能である。
この辺の詳しい話は講座の中でしているが、今回はブログでもその一旦を紹介してみた。