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悟りの見分け方3 幸せの正体とアバター 神の化身とは

画像 サイババの過去生と言われているシルディサイババ

 

前回は悟った場合の見分け方2というお話をシェアした。

抜粋

あとよくある勘違いとして、悟ると24時間至福で満たされて脳といい身体といい快のバイブレーションに浸り切るというのがある。

あと全てが思い通りになって、夢のような…

みたいなイメージがあるかもしれないが、部分的には合っているが現実的にはそうでは無い。

前回のお話 悟った状態の見分け方…

悟った状態の見分け方 その2 思考の数を目安にする?

 

今日はその続きから。

幸せの理由

悟ると至福で満たされるというのはある。

特にその初期の段階においては強めの至福がやってくる場合が多いし、それが何日も数ヶ月も続くことがある。

これはなんというか、変化が起きた時はなんでもそうだが嬉しいものだ。

例えば…

  • 卒業した
  • 入学した
  • 友人が出来た
  • 入社した
  • 新しい車を買った
  • 恋人が出来た
  • 結婚した
  • 子供が出来た

など変化が起きれば、それ相応に幸福だったりする。

しかし、それもしばらくすれば慣れて「普通」になってくると、それほど以前のような幸福感を感じなくなってくる。

悟りや意識の変容もそうで、今まで肉体や自我に閉じ込められていた意識が本来の自由生を取り戻すともの凄い解放感を感じる。

例えば外出先から家に帰って窮屈な靴や服を脱いだ時に開放感があると思う。

それをめっちゃ強くした感じが悟りの時の開放感とも言える。

最初は以前との差があるから至福なり異様なリラックス感なりを感じるが、慣れてしまうとそれが普通になっていく。

もちろん、覚醒のタイプにもよるが認識形態が変化するので普通といっても以前の状態では無い。

「私はいない」という理由

認識形態が変化するというのは、通常は…

私→周囲(人、物、環境)という境界線が強くあるが、これが逆転したり薄くなったりして以前の私という感じではなくなってくる。

だから、私は無いとか全てが私だとか言い出すわけだ、特に最初は嬉しくて。

しかし、しばらくするとそれも普通になってくる。

また、至福感も24時間死ぬまでずっと続くかというと、そんなことは無い。

確かに以前と比較して至福が頻繁にはやってくるだろう。

至福が頻繁にやってくるというのは、通常、幸せを感じるのにはなんらかの理由がある。

  • ボーナス日だったり
  • お酒を飲んだり
  • キャンプしたり
  • 好きなスポーツをしたり
  • 好きな家族や恋人と会ったり
  • 温泉に入ったり

など、とにかくなんらかの楽しいと思われる事があった時に…

「幸せだな」

という感覚が起こるわけだ。

この幸せ感の強めのものが理由もなくやってくるのが、今お話ししている至福。

まあ、ぶっちゃけた話、悟っていないと思っていても理由のない幸せや喜びを感じる事があるだろう。

私達は至福が土台

そりゃそうだろう、私が言っているようにあなたは既にそれなわけなんだから。

一定のレベルになると、その至福がもっと強めで頻繁にくるという話になってくる。

なぜなら、私達の本質は「それ」だという話はしたが、それは言ったら至福の塊なわけだ。

だから、楽しい事があったから幸せだと思っているが、実はそれは単なるきっかけにすぎずに、私たちの本体である至福が漏れ出したのが喜びの正体。

その証拠に、楽しいと思っているものがいつでも楽しいとは限らない。

幸せの正体

例えばお酒を飲むのが楽しいと思っても、楽しいお酒とそうでもないお酒があるはずだ。

これは酒に限らず買い物でも遊びでもなんでもそう。

例えばあなたに好きな異性がいたとする。

出会った時は瞳を見ているだけで、少し会話をしただけで帰りにコンビニをウロウロして思い出し笑いをするほどの喜びがやってきたかもしれない。

しかし、しばらくするうちにその異性の瞳を見ても以前ほどはドキドキを感じなくなるみたいなケースは山ほどある。

では、その異性でもなんでもいいが、それが幸せの正体だったのだろうか?

いや、そうではなく、それはキッカケに過ぎなかった。

喜びや幸福は元々あなたに内在して、それが出てきただけの話ということになる。

ということで、私たちの基盤は実は至福の塊なわけだ。

24時間「快」を味わうように脳は出来ていない

瞑想のテクニックや祈りというのは、その私ちの本体である至福にいかに効率的にアクセスするかというだけの話だとも言える。

ただ、なんというか人間の脳は強いエクスタシーに24時間浸るような構造にはなっていないらしい。

もちろん、私だって全てのケースを知っっているわけではない。

例えばアバターと言われる人々がいる。

アバターとは 神化身

アバターとは神の化身という意味で、特にインドでよく使われる。

神の化身というだけあって、瞑想とか修行を必要とせずに最初から目覚めきっているパターン。

有名な人で言えばサイババとかがそうだ。

サイババは14歳の時に…

「私はシルディ・サイババの生まれ変わりである。

シヴァとシャクティの化身であり、人々の悩みを取り除くためにこの世界に降臨した」

と宣言して家を出て説法始める。

普通の状況、例えば今の日本だったら親に病院に連れていかれしまう言動だが、病人を治したり奇跡を起こし始めたからたまらない。

アバターの降臨である。

みたいに、通常、師匠を見つけたり瞑想修行をする過程をすっ飛ばしているタイプがアバターだと言われている。

夢枕に立ったサイババ

ちなみに、私はサイババの信者では無いが時折正夢のような感じで現れる。

29歳の時だったと思うが、仕事で地方に転勤している時に夢枕にサイババが立って…

「インドに来なさい」

と言うではないか。

よく夢枕に立つというが、あれは本当だ。

実際に寝ている寝室の枕の横に立っているので、本当にいるかと思った。

私は…

「いや、仕事もあるし忙しいので無理だわ」

と返答したら消えていった。

みたいな経験は何回かあるが、このように夢やヴィジョンで色々人のところに現れたりする。

サイババの他にはキリスト教の人にとってはイエス・キリストがそのカテゴリに入るかもしれない。

あとはヒマラヤ・聖者と言われている人達のように、何千年も生きたり物質化したり消えたりが自由な人々がいるらしいが、それもアバターというカテゴリだろう。

このアバターとの人(人と言っていいのかわからないが)がどういう状態かわからない。

もしかしたら、24時間特定の至福状態にいて、凡人の私達には想像出来ない意識状態にいる可能性は高い。

ただ、一般的に瞑想や修行して覚醒した場合は至福は24時間続かない。

ただ、頻繁にはやってくる。

訪れる至福と規制

だだしだ、なんというか以前もお話ししたが、その人独自の戒律が出来るのでなんらかの規制を受ける場合が多い。

その戒律を一般化したのが、仏教やヨガにあるような五戒とかになってくる。

まあ、言ったら意識が自由になってくる分、本人や周囲を守る為に規制も厳しくなってくるわけだ。

よくある規制のタイプとして…

  • お酒がダメに
  • 肉がダメで菜食に
  • 女性がダメ
  • ◯◯を話したらダメ
  • ◯◯をやったらダメ

みたいなある種の規制(戒律)とセットになっている。

まあ、でもこの辺も言ってみればスピリチュアルだけでなく、一定の職業の人は規制がかかる場合もあるだろう。

アスリートなどそうで、ボクサーだったら定期的に厳格な食事制限や厳しいトレーニングが課せられるのと一緒だと思う。

このように自由な人生かと思いきやなかなかそうもいかないのが現状である。

また、このような規制にプラスしてまだ方向性というものが存在する。

例えば…