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映画 シン・仮面ライダーとプラーナ

この前の日曜はシン・仮面ライダーを観に行った。

私は積極的には観たくなかったのだが、パートナー曰く庵野監督作品だからというチョイスで選ばれた映画。

確かに子供(5歳前後)の頃は仮面ライダーに憧れていて、ライダーキックとかを練習していたが、さすがに50も半ばを超えると特に観たいとも思わない。

このような自分の中の興味の移り変わりというのは、ある意味興味深い。

仮面ライダーもそうだが、その頃は恐竜に対してかなりの愛着があって誕生日にビニール製の恐竜の玩具を買ってもらってかなり嬉しかったのを憶えている。

しかし、当然だが大人になるとそういったものに対する興味というのは全く無くなる。

これは男子のケースだが、子供の頃は…

  • 大きいもの
  • 早いもの
  • 機械的なもの
  • 強いもの

などに対する興味が本能的にあるらしい。

おそらく、それが大人になると…

  • 車やバイク
  • 時計
  • パワー(金銭や権力的なもの)

というように欲望の対象が変換されるのだろう。

もっとも、この辺は個人差があって必ずしも上記の対象になるとは限らないし、大人と言っても20歳と50歳とでは同じ人間でも違ってはくるだろう。

例えばよくある問いだが…

「青春(死語?)だと思っていたのは何歳まででした?」

という問いがある。

これを読んでいるあなたも考えてみて欲しい。

問いを変えると…

「何をしていた時が『若かった』と思いますか?」

という問いに変えてもいい。

この辺は人によって違うと思うが…

「バイクに乗っていた時」

「音楽を毎日聴いていた時」

という答えが多かった。

これは確かにそうで…

「危ないからバイクに乗るのは辞めよう」

と思うのはある種の若さの喪失だとも言える。

私も18歳の時にウォークマンを買って、ヘッドホンをしながら初めて街を歩いた時は風景が輝いてみえた。

また、音楽も今も聞くだろうが若い頃のようにヒットチャートの曲をチェックしたり、ウォークマンとヘッドホンを片時も離さないような生活とは違ってくるだろう。

このように同じ人間として興味の対象がコロコロと変わるというのは面白いとも言える。

前置きが長くなったがシン・仮面ライダーはどうだったか?

結論から言えば、ライダーキックとバイクに乗って風圧を受けて変身する場面は良かった。

幼い頃の熱狂がほんの僅かな時間蘇った。

その他の部分については、あえて感想を述べるのは辞めておこう。

ファンもいるだろうし。

しかし、なんなのだろう、そこはかとなく漂うチープ感。

ハリウッド映画に比べたら100分の1くらいの予算で作ったんじゃないかという感じ。

意識的にそういう風合いにしているという意見もあるが。。

 

ただ、意外に思ったのはあの用語。

そう、「プラーナ」という言葉を映画では連発していたことだ。

仮面ライダーに変身出来るのは…

「変身ベルトタイフーン プラーナ強制排出補助機構付初期型」

というベルトがあって、そこに風を送り込むことによって身体中にプラーナが補充されて仮面ライダーに変身するというもの。

ちなみに、変身を解除する時もベルトのところをポチっとやって、ガスの圧を抜くようにプラーナを抜くと人間に戻る。

「あれ?仮面ライダーってこんな話だったけ?」

と思った。

私が憶えている仮面ライダーと違う気がする。

少し引用してみよう。

プラーナとは

『真の安らぎはこの世になく』では、「緑川弘博士が研究している生命工学技術」とケイが緑川イチローに説明している。

既存の生命工学技術とは全く異なる新しい技術であり、プラーナの研究が完成して本格的に実用化されれば今まで治療不可能とされてきた病気を治療できる他、イチローのように死が免れない大怪我を負った人間の蘇生、果ては不老不死も視野に入れられるかもしれないとの事。

また、人間以外の生物にも転用する事で食糧問題も解決できるかもしれないらしいが、当然リスクも存在する模様。

イチローはプラーナを移植された影響で「自分の体に何か別の生き物がいる感じがする」と苦悩を口にしており、プラーナ技術とは人体と別の生命体を融合させる側面があるのではないかと推察される。

実態

その正体は生き物の体に宿る「生命エネルギー」そのもので、「魂」「霊魂」とも言えるもの。

人外合成型オーグメントは人間の肉体に他の生物から取り出したプラーナを融合させて生み出される為、上述のイチローの発言もあながち間違いではない。

オーグメントは肉体の維持や能力の行使にプラーナを用いるが、その補給は大気中に存在する圧縮されたプラーナを吸収したり、他の生物から直接奪い取ることで行う。

睡眠や食事を必要としないオーグメントだが、他の生き物の命を食らって生きているという点では、人間を含む多くの生物と同じである(つまり、緑川博士が考えていたような、不老不死や食糧問題の解決ができるようなものではない。作中でも緑川ルリ子が「仮に全人類がオーグメントのような体になっても、結局はプラーナの奪い合いになる」と説明している)。

上述の通り生命エネルギーのようなものである為、プラーナを全て抜き取られるとその生物は死んでしまうが、その肉体には外傷などは一切発生しない(劇中ではチョウオーグにプラーナを奪われた者が安らかな笑顔のままで死亡している)。

なお、基本的に一度抜き取られたプラーナは元の肉体に戻ることはないが、プラーナを維持できる適切な場所に移す事で、肉体がなくなってもプラーナ=魂だけの状態でも生きることが可能。

最終的に本郷猛と緑川ルリ子はSHOCKERとの戦いで命を落として肉体を失うが、そのプラーナを仮面ライダー第1号のマスクに移した事で魂として存在し続けている。

引用元

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A%28%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E4%BB%AE%E9%9D%A2%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%29

のような感じだが、仮面ライダーはいつのまにかスピリチュアル方面にかなり傾倒してきた感がある。

プラーナというのはヨガや瞑想関係の人には馴染みのある言葉だが、仮面ライダーの根幹にある概念だというのは少し驚いた。

これも庵野秀明監督が作ったからなのだろう。

人によって行としてやったことがない人間が、色々と概念的にいいとこどりしただけの物語だとも言え、この辺は好みは色々とあるだろうが、色々な意味でそういう時代なんだろう。

実際のプラーナを増やすには色々なメソッドがあるが、ブログでも追々シェアしていくかもしれない。