今までのお話は瞑想を深める為にどんな要素が必要かという話だった。
今日は逆に…
「◯◯は辞めた方がいい」
という話。
非暴力 警官が暴漢を…
結論から言えば仏教では五戒(ごかい)とかヨガではヤマ(禁戒)とかある。
その辺の話は検索すれば出てくるし、堅苦しい話になるので今回は違う話をしていこう。
根本的な話をすると「◯◯は辞めた方がいい」「◯◯はしてはいけません」というのは人によって変わってくる。
例えばの話、ヨガのヤマにはアヒムサ(非暴力)というのがある。
アヒムサ
- 非暴力
- 非殺生
- 精神的な暴力
これは確かにその通りである。
何も瞑想とかスピリチュアルな道を歩んでなくても、人として暴力は良くないのは普通の人間なら誰しも思うだろう。
しかし、もしあなたが…
- 警察官
- 格闘家
- 軍の兵士
だった場合はどうだろう?
あなたが警察官で暴漢が街で刃物を持って暴れている。
この時…
「私は非暴力の教えを守っているので、なんとかして話し合いで…」
と思っても、相手が薬でもやっていて暴れていれば、投げ飛ばしたり殴ったりしてでも拘束して逮捕するわけだ。
またヨガではサティヤ(正直、誠実)という戒律がある。
これも、瞑想していなくとも人として当然の資質ではある。
しかし、もしあなたが政治家だったとしよう。
「これを言ったら国が損するな〜」
みたいな発言は控えて他の国と交渉するはず。
なんでもかんでも正直に思ったままを話していたら、まとまる話もまとまらなくなる。
このように職業やポジション、状況によって戒律の解釈や緩さが変わってくる。
肉は食べない方が
また、よく聞かれる話として食に関するもの。
「肉は食べたらダメなんですか?」
「お酒は飲んでいいんですか?」
「タバコは吸っていいんですか?」
みたいな質問はよくある。
その辺を見ていこう。
この辺りも個々人によってかなり違ってくる。
一般的な話をすると、ヨガは肉食を禁じているケースが多い。
仏教の場合は自分で殺生しなければ肉はOKな場合が大半。
だから、瞑想修行するからと言って必ずしも肉食がNGなわけでは無い。
このように、瞑想する体系によっても違ってくる。
私が知っている聖者の例でも、
- ヴィーガン
- 菜食
- 雑食(肉食)
- リキッダリアン(固形物は食べない)
と色々なケースがある。
この辺もだいぶバラツキがある。
行った先で変わる
だから、あなたが瞑想を習おうとして行った先の先生がヴィーガンだったら…
「肉を食べると動物が殺される時の波動を吸収してしまうので野菜にしなさい」
みたいな話になってヴィーガンになる傾向がある。
逆に習いに行った先が雑食の先生だったら
「人間は本来、体は動物なんだから肉も食うんだよ」
と言われ、なんだ、別に食べてもいいのかと肉を食べ続けたりする。
だから、この辺はあなたのカルマや縁とか体質とか色々な要素が絡んでくるので、一概にどれがいいとも言えない。
ただ、共通する項目としては量かな。
ヴィーガンにしろ肉食にしろ、食べすぎて健康を損なったり、食べることが最大の楽しみみたいなケースはいない。
あと、酒は菜食か肉食かにかかわらずNGなケースが多い。
このように戒律には様々な要素が絡んでくるので一概には言えないという話になる。
それにプラスして、神との契約みたいな話も出てくる。
神との契約とい言葉がしっくり来なかったら…
自分の本質との取り決め
みたいな話になってくる
例えば…
続く…