今日は前回の続きで・・・
「なぜ座って瞑想するのか?」
という話。
「なぜ座って瞑想するのか?」
「座を組んで瞑想するのか?」
エネルギーが立ってくる
これは瞑想の技法といつかタイプによっても違ってくるが、大抵の場合は瞑想が深くなってくるとエネルギーが「立って」くる。
エネルギーが「立って」くると、寝た状態より座った状態の方が瞑想しやすい。
なんだか、感覚的な話になっているが瞑想がある程度進んでくると意識は明晰で力強くなってくる。
現象的にはここら辺から光が見えてきたり、体の感覚が無くなったり変化したりしてくる。
最初に座って瞑想した方がいいと聞いたのはTM瞑想の時。
TM瞑想とはインドのグルであるマハリシマヘーシュヨーギーによって世界中に広められた瞑想。
マハリシはガッカリした
マハリシがアメリカで瞑想を教え始めた時に・・・・
「どうですか? どんな調子ですか?」
と聞いたところ・・・
「リラックス出来ました」
「良く眠れるようになりました」
と感想を聞いてガッカリしたらしい。
なぜなら、一般的なイメージでは瞑想はリラックス出来たり、眠れたりするという癒し効果的なものがかるように思うだろう。
しかし、これは最初の段階で本当に瞑想状態に入ってくるとエネルギーに満ちてくる。
その結果・・・
「普通に目覚めている時の状態より意識が鮮明になってくる」
のが普通。
だから、リラックスとか眠れるようになるというものではなく、瞑想が深まってくるとむしろ眠れなくなる。
なぜそうなるかというと感覚的にはエネルギーが立ってくるからだ。
これはどういう事かというと色々な説明が出来るが一つ例を出すと「コマ」に近い。
回転するコマと瞑想
コマは勢いよく回転していると直立している。
一見、静止しているように見えるが激しく回転(エネルギーに満ちている)している状態だと立つ。
回転が落ちてくるとグラグラして、終いには「コトン」と倒れる。
イメージでいうとこんな感じ。
実際に先のTM瞑想の時も・・・・
「瞑想するときは背骨を起こしてください」
というい話だった。
これは見た目とか形式的にとかいうよりも、実際にリクライニングする椅子で半分寝た状態でするよりも背骨が立っている方が実は瞑想しやすい。
なんだかTMの話が続くが、特にシディ・コースと言われるスートラを使った段階に入るとこの傾向は顕著になる。
やりにくいのだ、背骨が垂直でないと。
今、例としてTM瞑想の話を出したが、これは他の瞑想でも一緒。
姿勢に厳しい瞑想と楽に座る瞑想は
ちなみに、瞑想の流派というか分野で色々あるが便宜上2つに分けると・・・・
A 姿勢に厳しい技法
B あまり姿勢にうるさくない技法
と2つに分ける事が出来るように。
Aは座禅とかヨガとか、結構座り方に決まりがあってうるさい。
これはこれで意味はあるのだが。
一方、今お話したようなTM瞑想はそれほど姿勢にはうるさくない。
椅子に座ってやってもいいし、ある程度背骨を起こせば椅子をリクライニングさせてやってもいいぐらいだ。
しかし、このAとBは実は同じような結果になる。
つまり、エネルギーが立ってくると自然と姿勢は整ってくるという話になるわけだ。
これは理論的にどうこうというのもあるが、何も知らなくても感覚的に自然とそうなる。
そうなってくると・・・
・背骨は垂直
・手や足は閉じて
(手は何らかの形で固定、足は出来れ座を組む形で閉じる)
で座る方がパキッと安定してくる。