前回はパラレルワールドの話をして、実際は現実的なアプローチも併用した方がいいという話だった。
マトリックス・エナジェティクス とは? 現実も大事
まあ、なんでああゆう話になったかというとわけがある。
学習枕の幻想
パラレルワールドなどの最新のテクニックから伝統的な方法までスピリチュアル的なものは幻想をかき立てる。
そればっかりに頼りがちになるから注意が必要だ。
例えば高校時代に友人の家に行った時、例のものがあった。
睡眠学習枕といわれるもので、寝ている間に枕から学習音声が流れる枕らしい。
もちろん、私もこういったアイテムを頭ごなしに否定する訳ではない。
睡眠枕を使いたかったら使えばいいのだが、この友人は学校でも家でも勉強をほとんどしないタイプの人間だった。
「いやいや、お前勉強したところ見たことないのにこんなもんに頼っているのかよ」
と思わずツッコんでしまった。
それに似ている。
授業中に瞑想で落ちる
私も恥ずかしい話、TM瞑想を18歳の頃に習ったが授業中にマントラ瞑想をしていて試験が散々だった事がある。
瞑想すれば運が良くなったり頭が良くなったりという話はあるが、流石に憶える事を憶えないと瞑想しているだけでは試験に受からないわけだ。
ちなみにTM瞑想では…
「すべての願望が叶う」
というキャッチフレーズも当時あった気がする。
これは言葉の解釈にもよるが嘘では無い。
願望達成の基本原理
原理としては潜在意識やその奥の意識も含めて、自分が発したバイブレーションが世界に放たれて現象として戻ってくる。
その事を考えた時に、自分の全ての意識を瞑想によって整えて良いバイブレーション、つまり自分の思いが適切な形で放射出来れば、あえて意図的に願望として思わなくてもその思いが現実になるという理論である。
ただ、確かに原理的にはそうなのではあるが、現実的にはこの世界では瞑想する以上に考えたり行動していく必要がある。
盲目になる
ただ、普通は最初からそこまで腑に落ちてやっているわけでは無いので。
「瞑想していればきっといい展開になるのね」
と思って嫌なことは後回しにして好きな瞑想をしてしまうわけだ。
この辺の話は客観的に聞けば…
「バカだな」
と思うが特定の手法を一生懸命やっているとハマるところではある。
秘伝の行で盲目に
その手法が魅力的だったり、強力であればあるほどハマる。
例えばこれも恥ずかしい話だが、インドの聖者から行を伝授されていた時の事。
正直言って充実していたし楽しかった。
なんせサイババのように何もない空間から物質を出す聖者のもとで様々なマントラや秘伝の行を習うわけだ。
もちろん、それなりの体験もする。
ただしだ、やっぱり時間もそうだしお金も結構かかる。
一時的にはいいが、毎回インドに行ったり国内でも修行するには結構な金額になる。
その時、たまたま仕事が上手く回らなくなって収入がストップした事があった。
そうすると、新しく伝授される行も受けられなくなるしインドにも行けない。
その時、ちょうど過去生の膨大なカルマを解消してこの世界を創造する秘伝の行などが発表されたが、お金が無いので行けない。
参った、この現状を克服するには、もっと瞑想して秘伝の行をして…
ある日…
「どうしよう、あの行をスワミから習わないと」
と会社をやっている友人に愚痴ったら…
「リアルさん、なに言っているですか。
上手くいっている人99.9%はそんな行やって無いですよ」
と鼻で笑われた。
その時…
「確かにそうだな」
と思った。
このように、その手法が魅力的だったり強力だったりすればするほど盲目になってしまう可能性が高い。
もちろん、これらを否定する訳では無いしやりたくて出来るんだったらやってもいいと思う。
手は祈る為でなく…
ただし、言葉は悪いがそれに逃げて現実的な対応をおざなりにしがちなケースは多い。
私の失敗談もそうだし、周りを見ていてもそう思う。
やはりバランスが大事。
この世界の行動に落とし込んでいく事が大事になってくる。
昔読んだ浅田次郎の本で…
「手は拝むためにあるんじゃねぇ 手に豆を作って汗をかいて働く為にあるんだ」
というシーンがあるがごもっともである。
そうやって行動しつつ、現実的な対応をしつつ真のスピリチュアルな道に沿っていれば深い体験と認識へ私達を導いてくれる。
ということで具体的な手法の話を一つすると功過格表(こうかかく表)というのがある。
功過格表
中国で使われている手法で、昔この話を知った時に…
「なんだよ、陳腐だな」
と思ったのを憶えている。
日々の行動に特点をつけて徳を貯めていくと運勢が好転するという話。
「徳が大事ですよ」
というは仏教でもヨガでも良く聞くが、リターンを期待して表まで作るというのはさすが中国である。
やっぱり良い行いというのは見返りを期待して行うのではなく、無償の思いでやらないとという思いはある。
だから当初は功過格表のようなものに対しては一段下に見ていたというか…
「なんだかな〜」
という偏見があった。
しかしである。
色々なケースを今まで見てきて、なんらかの目安はやはりあった方がいいんじゃ無いかという考えに変化してきた。
例えば今まで見てきた例で、かなり運気を落とす行為として…
続く