前回は自分の魂からの望みを知る方法をシェアした。
私達は大人になると他人からの情報に晒されまくっているので、自分の本来の望みや気持ちなどがわかりにくくなっている。
その為、子供の頃に好きだったことや望んでいたことを思い返してみると、自分の本来の傾向を知る事が出来るという話だった。
前回の話
田舎暮らしの悪夢 大鶴義丹の北海道美瑛町のケース 悟りシリーズ 悟ると願いが叶うのか?
今回はその話の続きから。
子供の頃に好きだった事があなたの本質に近いという話だったが、気を付ける事がある。
サッカーが子供の頃から好きだった場合
例えば、子供の頃や10代の頃に…
「サッカーが好きだった」
場合について考えてみよう。
サッカーが好きだからと言って、30代や40代以降になっても…
「ああ、サッカーが好きだったが今更プロにもなれないし、サッカー関係者にも転職しようがないしな」
みたいに思うかもしれない。
それではどうするか?
フットサルチームに入って余暇にサッカーをやるというのもいいだろう。
しかし、もう少し本質を見ていこう。
要素を分解
果たしてサッカーの何が好きだったのか?
- とにかく走り回るのが好きだった
- 足でボールをコントロールするのが好きだった
- 戦略的にゲームを攻略するのが好きだった
- フェイントをして相手をかわすのが好きだった
- インサイドキックで思い切りボールを蹴るのが好きだった
- 日曜日に他校へ遠征して試合するのが好きだった
- チームの仲間と一致団結して取り組むのが好きだった
など、サッカーが好きと言っても色々な要素がある。
例えばの話…
- チームの仲間と一致団結して取り組むのが好きだった
というのが思い当たったとしよう。
実は仲間との協力作業が好きだった
「そうだな、今の仕事は一人で取り組む事が多くてチームで動いて無いので充実感が無い理由だった」
というのに思い当たった場合、仕事でも趣味でも何でもいいので気の合う仲間とワイワイやりながら過ごす時間を作ればいいという話になってくる。
だから、この場合は別にサッカーをやらなくても…
- 地元の野球チームでも
- 仕事でチームを組んでも
- 趣味の仲間でも
- ボランティアでも
何でもいいから多人数で何かに取り組んで、そのチーム内で過ごす事で魂が充実するみたいな話にもなってくる。
であるから、前回の話で子供の頃や10代の時に何が好きで得意だったかを思い出して、その要素を抽出していくという作業もやってみるといい。
カムイ外伝
私の場合は子供の頃は体を動かすことと読書が大好きだった。
体を動かすのはテレビのアニメでやっていた「カムイ外伝」忍者ものに影響されていたので、近所の壁の上を走ったり飛んだりして遊んでいた。
また、巨人の星も見ていたので地域の野球クラブに入って放課後はいつもグラウンドにいた。
野球部と言っても学校の部活では無いので、一旦家に帰ってお菓子などを持参して普段着のまま遊びながらの野球だったが。
黒馬物語 ブラックビューティー
特に小学3〜4年生ぐらいに母からこれを読めと本を渡された。
「黒馬物語」
というものでブラックビューティーという馬の一人称で物語が進むというもの。
確か後年に映画にもなったと思ったが、とにかくその本を渡された。
ちなみに、なぜ渡されたかというと後日聞いたのだが、私は文章を読むのが苦手だったらしい。
小学校1年くらいの時は「拾い読み」というのをしていたらしく、それを見た母が…
「あれっ この子全然文章が読めないわ」
と思って文字に馴染むように本を渡したそうだ。
ちなみに拾い読みというのは…
「か・わ・が あ・り・ま・す や・ま・が…」
というように一文字一文字拾うように読む読み方だったそうだ。
それもあってか、それ以来読書に没頭するようになる。
今でも小説は読むが、あの頃読んだ本は別格だった。
夢のSF
子供だったからか、今では擦り切れてしまった感性がまだ瑞々しかったのだろう。
本を読み始めると、別世界へ誘われた。
特にSFシリーズが好きだった。
- アイザック・アシモフ
- レイ・ブラッドベリ
- J・G・バラード
- ロバート・A・ハインライン
- E・E・スミス
- H・G・ウェルズ
など夢中になった。
なぜこうも好きだったのか今思い返してみると、小説によって開示される別世界に既視感を持っていたからかもしれない。
SFにはよく未来都市などが描かれていて、何だか以前にいたような気がしてくるわけだ。
既視感
これは夢見の体験が原因とも言える。
あなたも夢の中で色々な世界に行くと思うが…
- 何回も訪れる街
- 懐かしい世界
などがあるかもしれない。
朝、目覚めた時には夢から覚めたばかりなので、薄っすらとフィーリングや感情が残っている場合があるので実感しやすいが、どうやら馴染みの世界が夢でもあるようだ。
その夢の世界にSFで描かれているような世界がオーバーラップしていて既視感を覚えたのかもしれない。
とにかく本を借りまくり買いまくった。
今、こうして文章を書いたりするのが比較的楽しく出来るのも、あの頃から文字に親しんだ経験があったからとも言える。
オリンパスのタイプライター
また、今思い出したが家にタイプライターが鎮座していた。
オリンパス製の英字キーボードでキーボード押すと鉄製のアームが飛び出して黒いテープに「ガチャン」と打ち込んで印字するという代物。
母が印刷会社に勤めていて、和文タイプの機械で時折作業していて、なぜか英文タイプの機械もあったわけだ。
その英文タイプの機械が子供心に珍しく、遊びながら文字を打っていたのを思い出す。
それもあってか、PCが登場する前からワープロをいじったりしていて、タイピングとの親和性があったというか、こうやって文字を打つのはごくごく自然な流れになっていた。
今は文章を書いたりすぐのが仕事でもメインになっているので、今思い返してみると幼少期からそういった流れだと言えなくもない。
これは…
- 文字に親しんだりタイプライターがあったから、文章をメインで発信しているのか?
- 今の仕事の為に過去にそう言った経験をする必然性があったのか?
というように色々と考察してみるのも楽しい。
ということで、子供の頃に好きだったものとか慣れ親しんだもの。
興味があったものがその人の本質と近い場合があるという話だった。
あなたも子供の頃や10代の時の事を思い出してみて、考えてみるのもいいかもしれない。
次に…
続く