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魔が入る2つのタイプと信じる可能性と危険性

前回は私達は神の化身とも言える存在だという話をした。

前回の話

神の化身としてのあなた

「神の化身だなんて全然そんな気がしない…」

と思うかもしれないが、実は私達の意識は多面体で一定では無い。

その中でも至高の部分というか、根源は神だという話になる。

それを少しでも実感する為には、まずは仮にでもいいのでそう思うことが重要だという話だった。

今日はその話の続き。

魂の成長や瞑想を邪魔する存在として魔的なものが関与するという話だったが、では具体的にどのように関与してくるのか?

魅惑的な魔

これには色々なタイプがある。

以前もシェアしたように、基本的には魔とは魅惑的なもので邪魔をするという話だった。

いったら私たちが住むこの世界。

現代社会は魅惑的なものや気を逸らすものが多すぎて、ある意味サタンの都と言ってもいい。

だから、既に魂の成長や自分自身の本質に気づくのを大きな流れとして魅惑・幻惑して逸らすという手法が取られているという話だった。

そういった中でも、全体の中でもわずかな割合だが…

「いや、私は瞑想して真理に目覚めるんだ!」

と貴徳な人たちがいる。

そう、これを読んでいるあなたみたいな人だ。

2つの魔のタイプ

そういう人に対しては魔はどのようなアタックをかけてくるのか?

これにも様々なパターンがあるが、大きく分けると2つ。

  • ダメダメタイプ
  • オラオラタイプ

この2つに分かれてくる。

ダメダメタイプ

ダメダメタイプというのは、ついつい自己否定的になってしまうタイプ。

これは生まれ持った性格的なものも大きいし、状況によっても変わってくるが例えば…

  • 自分なんかダメだろう
  • どうせ◯◯してもダメだろう
  • 今回もやっぱり失敗する気がする
  • どうせ誰もわかってくれない
  • あの人はいいよね、自分はダメだけど

などと思いがち。

瞑想やスピリチュアル的なことをしても、同じように反応してしまう。

これはも一種の魔と言える。

仏教などでは「疑」ともいう。

どんなものかというと文字通り…

  • 自分を疑い
  • 他人を疑い
  • 教えを疑い(仏教ならブッダの教え)

など、とにかく疑う。

それにプラスして極度の自己卑下が混在したような感じ。

もちろん、疑うということが悪いわけではない。

疑いは正常な機能

なんでもかんでも頭から信じたりするととんでもないことになる。

特にこう入ったスピリチュアルな分野は目で見て確認出来ないだけに、人の言うことや本の内容をただ信じるというは危険だと言える。

だから疑ってもいいわけだ。

疑ったりビビったりする方が安全だし結果だって出やすくなる。

ただし、自分自身を疑いすぎると厄介なことになる。

自分を疑いすぎない

自分の存在や可能性までを逐一疑い出すと、それこそ何も出来なくなってしまう。

心配したり疑うことは安全装置とし必要だが、少なくとも自分の可能性をもっと信じるというか許可してあげるのがいい。

「リアルさん、そんな事言ったてダメダメな思いになってしまいます」

と言う話もあるかもしれない。

ではどうしていけばいいのだろうか?

色々な方法があるが、基本的には信じる事。

自分で出来たことは信じる

では何を信じるかというと、自分で出来たことを信じていけばいい。

自分で出来たことや理解したことは他の人が言ったり本で読んだことよりもシックリくるはず。

だから、小さなことでもいいので体験を積んでいけばいい。

本当に信じている時は信じるとは言わない

実は信じると言う言葉を使うときには信じてないという事実がある。

例えば…

「私は彼のことを信じてます」

と言うときには、彼のことを信じられない何かの出来事が発生しているわけだ。

例えば友人から…

「ねえねえ、昨日、あなたの彼氏が別の女性と銀座を歩いていたわよ」

と言われ、もしかしたら浮気なんじゃないかという疑念が脳裏をよぎった。

その時に彼のことを信じると言う言葉が出るという構造になっている。

100%信じているものに対しては信じると言う言葉は通常使わない。

確信

例えば、健康な人だったら今立ち上がってトイレに行くことが出来る。

だから…

「私は立ってトイレに行くことが出来ることを信じる」

とは言わない。

信じると言うよりは確信があるからだ。

やっぱり私出来るわを増やす

だから、あなたも自分を信じたい場合はこの確信を増やしていけばいい。

小さな事、1ミリでもいいから新しい体験をして経験値を深めていく。

必要なものに関しては知識や技術を習得して体で覚えていく。

確信を深めていく。

そうやって自己卑下や疑いを超えて…

「私ってやっぱり出来るわ」

「最初は手こずるかもしれないけど、慣れれば平気だわ」

とうい安定感が出てくるはず。

次にオラオラタイプについて

実はこれが結構厄介な話になってくる