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書くという行為と読者とSEO

文章を書くというのは興味深い行為だ。

特にブログなどのSNS

書くということは他者、つまり読み手のことを想定した文章になる。

その時点で内容が微妙に変化する。

それと同時に書く側の意識状態も変化する。

読み手を意識

例えばこの文章にしてからがそうだ。

読み手を意識して・・・

「この言い方の方がいいかな?」

「文章はこの順番の方がスムースに読めるかな?」

などと考えながら書いたり、修正して行ったりしている。

まあ、これらの事は前提としては「当たり前」の事なので、今更何をと思うかもしれない。

ただ、書く側にとっては意外と大きな問題である。

SEO

例えばSEO。

ブログなどのサイトで文章を書く場合、先ほど説明したように読み手の存在を意識して書く。

という事は読む人の数は少ないより多い方がいい。

極論を言えば・・・・

「読み手が0人の場合は書いている文章は存在として無いに等しい」

と言える。

もちろん・・・

  • 文章として
  • ブログとして
  • サイトとして

存在はしている。

しかし、誰も読まなければ実質的に存在していないのと一緒だ。

お客0人の飲食店

これは飲食店に例えるとわかりやすい。

どんなに味が良くてサービスが良くて店構えが良い店でも、食べにくるお客さんが0ならば潰れてしまう。

いや、潰れてしまう以前の問題として「味」として表現された品を味わう人がいないという事は実質、この世界に「存在していない」という事と同じである。

この辺は・・・・

「神は認識(存在)されるためにこの世界と人間を作り出した」

みたいなアドヴァイタ的な宗教認識論と同じ構造である。

話が若干逸れたが、SEOというのは・・・

Search Engine Optimizationといい 検索エンジン最適化の事。

辞書っぽい文章に

これは検索した時に検索結果といて表示されるように色々な対策をしましょうという話。

ブログやサイトを作ったことがある人なら、一度は耳にしたことがあるかもしれない。

このSEO対策というのは色々あり、それについて語ると膨大な量になるので、文章の書き方というか表現ということで話すと・・・・

「SEOを意識すると内容がつまらなくなる」

ということが挙げられる。

それはそうだ。

SEOには色々なルールがあり、結果・・・・

「この内容はあんまりSEO的にはアクセスが見込めないな」

とか

「これを書いてもあんまり一般には受けウケないな」

「文章もタイトルはこっちが良くて、文章の構成としては・・・」

みたいに読み手もそうだがグーグルを意識して書くようになってしまう。

結果、どういうことになるかというと・・・

「辞書っぽいブログになってしまう」

というのがあるあるだ。

私も検索してブログやサイトを読む時が結構ある。

確かにYouTubeなどの映像もいいのだが、スピード的にかったるい。

文章なら5分で読める内容を30分以上観なければいけない場合もしばしば。

エンタメというか、楽しみとして動画を観たり、気合いを入れて学習したい場合は動画は優れていると思う。

しかし、調べ物をしたい時などは文章の方がスピード感があっていいケースも多い。

でだ、そうやってネット上の文章を読むのだが、どうも辞書っぽいある意味良く出来たサイトというのは面白みが欠けたものが多いと感じる。

実際、そう言ったものはアフィリエイト紹介ものだったり、誰が書いたかわからないような通り一遍的なものが目につく。

熱量

これは好みの問題になってしまうのだが、そうではなく書き手の「熱」が伝わってくるような文章が私はどちらかというと好み。

読んでいて面白い。

まあ、この辺の問題。

1 どこまで好き勝手に書くのか、表現するのか

2 読者をどこまで意識して書くのか

3 検索エンジン対策をどこまで優先して書くのか

というのは非常にデリケートな問題で、課題は尽きないところである。

ただ、言えるのは1~3番のどれにしろ、それなりの問題というか課題はあるので、それに直面した時に止まってしまったり程度ならいいが、辞めてしまうのは一番の問題。

まあ、問題という表現もなんだが結局は熱量の話になってくるのだと思う。

熱量が高ければ、例え誰に読まれなくても狂ったように書く場合だってあるからだ。

逆に言えばその書くという行為、エネルギーがその人の存在意義なのかもしれない。