意識状態と姿勢というのは関係がある。
横になってダラダラしていると眠いけれど、ヨイショと立ち上がって歩き回っていると目が覚めてくるのは誰しも経験した事があるだろう。
例えばここ数年ではスタンディング・デスクが流行っている。
立って仕事をするわけだ。
スタンディング・ディスクで立って仕事をするのが100%誰にとっても良いかどうかはともかく、猫背で座っているよりは立っていた方が眠くなりにくく、集中しやすいというのはわかる。
エネルギー感覚や気の感覚がわかる人は身体の姿勢にフォーカスしてみるといい。
寝ている時
座っている時
立っている時
それぞれ違うと思う。
でだ。
瞑想する時に座るのはなぜか?
リラックスするのだったら、寝てやった方ががいいのでは無いか?
実際に睡眠をとるときは横になって寝るわけだから。
しかし、なぜ座る?
これにはザックリ言って2つの理由がある。
まず、一つ目はこの「私」が消えない為。
睡眠は確かにある意味、究極のリラックスとも言える。
しかし、自覚している私という意識も消えてしまう。
それでは身体は休まるが、瞑想というものとはまた違ってきてしまう。
なぜかというと、瞑想とはある種の「認識」なので、そこで私という自覚、つまり認識が出来ていないということは成立していないわけだ。
話は脱線するが、ドラックなどで色々な体験しても、この「認識」が歪められてしまってナチュラルでは無いので・・・
「色々不思議な体験をしたけど、終わってみると特に変化が無い」
というようなことになってしまう。
このように私としての意識を残しておきたいので、寝て瞑想するよりは座って瞑想した方がやりやすいという側面がある。
ただ、実は座って瞑想するのは上級テクニックなわけだ。
なぜなら、座って瞑想しようとすると「座ろう」つまり姿勢を維持しようとする意図が邪魔して、完全なリラックス状態には至らない。
だから・・・
・どんなにカッコよく座禅が出来ても
・出家して袈裟を着てビューテフルな姿勢で座っても
「ちゃんと座らないと!」
「瞑想しなくちゃ」
という意識が無意識のうちにでもあると、瞑想はやってこない。
なぜ・・・
「瞑想に入る」
という言葉ではなく
「瞑想はやってこない」
という受動的な表現にしたかというと、瞑想は無理やりこちらから入るものでは無いからだ。
例えるなら猫。
よく小さい子供がやるんだが、猫を見つけて・・・
「キャー 猫ちゃんカワイイ!!!!」
と走ってく。
そうすると、当然ながら猫は逃げる。
そうではなく、こちらがしゃがんで少しづつ期限を取りながら猫と会話していかないと、猫には触れない。
そういうイメージに近い。
どんなに綺麗にマニュアル通り座っても、こちら側に焦りや狙いがあると瞑想状態はやってこない。
この辺のところを細かく解説して、実践出来るようにしたのがdeepという講座なので、興味のある人は是非やってもらいたい。
このように余計な力みというとか狙いが外れた時点で、はじめて「座る」瞑想に取り組む事が出来るようになる。
でだ。
二番目の理由としてはエネルギー的なもの。
続く・・・