前回の続きで覚醒意識を自覚し始めたのは30代の頃だったというところからだった。
30歳半ば頃になると、ようやく瞑想を深めるような星回りというか時期になった。
マントラ瞑想を再開し始めたのもこの頃。
再開というか、今までも継続してやっていたのだがより深く学ぼうという縁が出来たとも言える。
TM瞑想を18歳の時に習ったという話はしたが、TM瞑想は上級コースとかシディコースというものがある。
「そろそろシディーやってみるか」
10代の頃からやってみたかったが、ようやく環境的に準備が整った感じだった。
もともとはシディを習う気はなかった。
なぜなら、費用が80万以上する上に2週間の合宿に参加しなければならない。
まあ、普通は行かないわな。
私もTM瞑想のマントラは相性が良く効果は感じていたが、流石に気軽には出来なかった。
しかし、あるキッカケがあった。
当時、会社員から自営業になり、相変わらずハードな仕事だった。
仕事は仕事で楽しかったが、身体が変形するほど働いた。
「ダメだ、このままだと身体が持たないかも」
と思いアーユルヴェーダのパンチャカルマを立川で受けることに。
今は立川のマハリシ・クリニックは無くなってしまったが、当時は本格的なパンチャカルマを受ける事が出来た。
話は多少脱線するが当時、色々と決断や行動出来て本当によかったと思う。
今は本格的なパンチャカルマをするクリニックは日本にあるのだろうか?
トリートメント程度ならあるが、本格的になものはインドやスリランカなど海外に行かなければ出来ない。
今、これを書いている2020年11月の時点ではコロナ禍で海外にもいけないし、大人数で泊まりにで行うリトリートなども感染防止の観点から出来ないだろう。
やはり何かを変える為には何かが犠牲になる。
時間であったり、労力であったり、お金であったり。
また、一歩踏み込む勇気であったり。
とにかく、当時はハードな仕事で疲れた体をケアする為に立川のマハリシクリニックでパンチャカルマを受けた。
その体験も至福意識の発露があったのだが、この話をすると長くなってしまうので端折るが、あれはあれで素晴らしかった。
その時のクリニックの壁にマハリシ・マヘッシ・ヨギの写真が飾ってあった。
それを見た時に何とも言えない気持ちになった。
懐かしさ?
憧憬?
よくわからなかった。
確かに18の頃に見た事があるので懐かしいは懐かしいだろう。
しかし、それよりも何というか故郷に帰ってきたような安堵感とでも言おうか。
「パンチャカルマも素晴らしかったし、次はシディだ」
というような気持ちになった。
この決断がのちにAの覚醒意識の認識における強さの部分に関わってくる。
TM瞑想というとポップなイメージがあり・・・
「ああ、ビートルズがやってたアレね」
「ストレス解消なんちゃらの瞑想ね」
「昔流行ったやつね、船井総研が押してたね」
みたいに本格的な瞑想では無いみたいなイメージがあるかもしれない。
しかし、シディテクニックと言われる瞑想技法を習って体と意識に「あれ」が浸透してくると・・・
「これは・・・」
という状態になってくる。
あれというのは「純粋意識」の事。
純粋意識というのは統一場とか究極の安らぎの状態とか色々言われているが、文章を読んでいると、何の事やらよくわからん状態になる。
何が言いたかというと、覚醒意識はある種のインパクト・強さが無いと普通はわかりにくいという話を冒頭にした。
そのインパクトをシステムとし注入するのが古今東西の瞑想技法なわけだが、TMシディ・テクニックはその方法として優れていると個人的には思うという話。
その辺の構造というかメカニズムをこれから体験談に基づいてお話してみる。
具体的に何をどうやるかについては、私はTMシディの教師では無いのでここでは書けないが、どのような仕組みで、どんな状態になるかのレポート。
下の図を見てほしい。
水槽の中に魚がいる絵。
水を純粋意識(覚醒意識)だとする。
通常、魚は水の存在をおろらくは明確には意識していないだろうというのは以前解説した。
この辺は私達が空気を普段意識していないのと一緒。
では、どうやってある意味、一体化しているが故に自覚出来ないものを認識するのか?
下の図を見てほしい。
続く・・・・