今回も動画で解説してみた。
ブログでも何点かシェアしていこう。
動画では瞑想状態がやって来るには…
3つのコツというか要素がある
- 技術を磨く
- 瞑想状態の性質への理解
- 手放す
という話だった。
動画でもお話したが、なんだかんだ言って技術の割合は半分以上ある。
これはどんな分野でもそうだが、やはり技術だったり身体作りだったりという基礎は必要。
例えばバレエをやるんだったら、バレエの技術や体づくりというのは必須だと思う。
じゃなかったら爪先で立て踊れないだろうし。
筋力や柔軟性という身体作りも必要だろうし。
踊りを覚えてそれを身体に叩き込むという過程も必要だろう。
もちろん、私達の本質・本能として「踊る」という事は出来る。
別に誰に習う事なく、感情や身体が赴くままに動けばそれは踊りになる。
しかし、それと訓練され極められた踊りとはまた別の話という事になって来る。
瞑想もそれに近い。
確かに意識としては…
- 今ここ
- そのまま
- 在るだけ
という性質があり、何もしなくても今まさに気づきの意識ではあるのは間違いない。
また、その状態がなんの経験がなくてもやって来る事はある。
しかしだ。
それと、その状態に熟練している事とはまた違うという話になって来る。
例えば気づきの技法の中でもヴィパッサナー瞑想を例にとると、確かに理論的には歩く瞑想や呼吸を観察する瞑想のやり方はわかる。
また、1日ワークショップとか数日間のリトリートなどに参加すれば、やり方自体はなんとなくわかる。
しかし、だからと言ってそれが出来ているとは限らない。
なぜなら、出来ればそれに圧倒されるからだ。
こんなにもシンプルで。
こんなにも素晴らしいのかと。
更に熟練すると、自分が人間という概念が崩れてくる。
これは頭で想像したり考えたりするのではなく、感覚や体験として起こってくる。
なんだか変な風に聞こえるかもしれないが、普通は私達は自分のことを人間だと思っている。
手足があって肉体があって、今何歳で男性だみたいな感覚だろう。
しかし、気づきとしての意識の本質が自覚されると、これが違って感じられる。
という事で、瞑想のテクニックを身につけたり、身体を作っていく(神経に叩きこむ)ということが重要になって来る。
ただしだ。
それとは相反するようだが、実は手放す事も重要。
この辺は動画で話しているのでここでは述べないが、どれくらい手放せるかで決まってくるとも言える。
ある意味、どのくらいの気づきの深さを認識するかは…
A どれだけ技術をマスターし修練したか
B どれだけ手放せたか
この2つの要素によって決まると言っても過言では無い。
Aのどれだけ技術や知識、修練を身につけても結局はこの部分は「自我」の範囲内なわけだ。
もちろん、最初にお話したようにこの部分も重要ではある。
しかし、あくまでこの世界と自我である私の範囲を出ない。
有名な学者や知識人にはなるかもしれないが、ある意味凡庸ではある。
しかし、Bの要素。
全てを手放せた時に「それ」の介入が起こる。
それによって全てが変わる。
という話になって来るわけだが、そうとは言えあなたは既に存在として「それ」である。
自覚しようがしまいが。
「それ」は「それ」のタイミングでやってくるであろう。